蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

愛とは生傷の絶えないものです

  愛とは生傷の絶えないものです。

 愛とは傷を舐め合うことです。

 愛とは傷つけあうことです。

 愛とは慰め合うことです。

 と、猫に説いた。

 猫は真面目な顔をして聞いていたが、その顔は教授の難しい話を聞いているきょとんとした学生のようであった。無理解である。

 なぜこんな話を猫に聞かせていたかというと、2日連続で怪我をさせられたからだ。

 猫の爪が原因である。

 

 スリッパを使って猫と遊ぶことが多い。

 私のスリッパは指先の出るタイプで、その穴から猫じゃらしを出したり隠したりして大いに遊ぶ。

 猫はこれが好きで、放置してあるスリッパにさえも前屈して尻尾を振り、臨戦態勢をとる。

 ふつうにスリッパを履いていても、臨戦態勢をとる。いつもスリッパをつけ狙っていて、俊敏な前足で襲ってくるのだが、ついに事件が起きた。

 前足の鋭い爪が、スリッパから出た私の足の親指の、肉と爪の間に深々刺さったのだ。

「ぎゃん!」と言ったのは私だ。

 見ると、それなりの量の血が垂れていた。よくわかんないのだが、生きてる、と思った。

 猫は私の親指を獲物か何かと勘違いしたらしく襲い掛かったのである。私が驚き痛みに悶えているのを尻目に、さささとテーブルの下へ隠れて、様子を伺っていた。

「いてぇなばかやろー!」

 猫に対してそのように怒鳴るなんてどうかしていると今では思うが、あの時はほんとうに痛くて、天罰、という言葉が脳裏をよぎったほどだったのだ。

 猫は、腰を丸めて、なんだか申し訳なさそうにして、反省しているように見えた。

 それ以来、人の履いてるスリッパに遊ばなくなった。

 

 今日は、猫が踏み台の下になにやら気になるものがあったらしくて、身をかがめて奥に前足を伸ばし、なにやら突いていた。

「なにしてんだヨ」

 そうなにやら聞きながら猫の脇腹を撫でた瞬間、猫はまったく油断していたらしくて、その場で踊り跳び、ついでに私の足の親指(さっきとは反対側)に深々と爪を立たのち、部屋の中を暴れ狂った。

 どんだけ油断してたらそうなるのかわからないが、ともかく指からは血が流れ、またしても私は悶絶した。だけど今回はちょっと私も悪かった。猫だってわざとじゃないのだ。どんだけ油断してたんだとは思うが。

 そこで、怒る代わりに、冒頭の説教をさながら神父のようにしたのである。

 

 私が猫のせいで傷つくと、猫はちょっと、申し訳ない、といった顔をする。遊んでた子供が急に怒られてサッと冷めてしまうような、そんな緩急が顔に表れる。

 猫にも表情はあるのだ。

 気が付けばもう2か月半ほど一緒に暮らしていて、最近はそんな表情の変化にも気付けるようになってきた。

 血を流しても、家族になって良かったと心から思う。