蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

一方そのころ外の世界は

  1か月半ぶりに出社した。

 ついに在宅だけでは立ち行かなくなり、特別に2名だけ出社が許され、そのうちの一人に私が選ばれた。ちょうど私の都合が良かったことと、他のメンバに比べたら家が近かったのだ。

 

 1か月半ぶりにネクタイを締め、ネクタイの締め方を忘れていなくてホッとした。

 1か月半ぶりに腕時計をして、1か月半ぶりに革靴を履いた。

 時差出勤で9時過ぎに家を出た。

 1か月半ぶりに電車に乗るので改札の通りかたとかホームの並び方とか忘れていたらどうしようと思ったけど、忘れていなかった。よかった。最近は物忘れが激しいので心配だったのだ(たとえば正則アラビア語不規則動詞の活用やファンデルワールス力の状態方程式なんてすぐに思い出せない。習っていないせいかもしれない)。

 

 1カ月半ぶりの外の世界は、私の知っている外の世界とはずいぶん違っていた。

 電車の窓が開いていて、寒いのにお構いなしだし、座席は間隔を空けて座っているし、マスクをつけていない人はほとんどいないし、そもそも人がほとんどいなかった。

 コンビニではセルフレジのほうに人が並んでいたし、電子マネーを使う人が増えていた気がする。

 人力レジにビニールが貼られているさまは刑務所の面会室を思い出した。網走の冬は厳しい。

 

 私は間隔を空けて座席に就いた。周りがそうしているように。

 だが、次の駅で乗ってきた女が、間隔をお構いなしに私の隣に座った。

 なんかなぁ。

 座席の間隔を空けているのが目に見えないのだろうか。女はいいかげんにマスクをしていて、鼻を出していた。

 なんだろう。

 こういう、なんていうか空気の読めない人だったら、外出自粛要請中にもパチンコ屋に出かけたり沖縄へ旅行したりクラブナイトで踊ったりしてそうだなと思ってしまう。

 だからウィルスを媒介しているかもしれないし、この人の近くにいるのは危険かもしれない。

 こういう人間は、周囲のことはおかまいなしで、自分こそが世界のすべてだと信じてやまず、自分を正義だと思い込んだら子どもでも水に沈めるような、そんな人間なのだろう。

 なんだかなぁ。

 咄嗟にそう思ってしまった自分に「なんだかなぁ」と思ってしまう。私だって、自分こそが世界じゃないか。

 

 変わったのは生活様式であり、変わってしまったのは自分の価値観でもある。決して外の世界だけが変ったのではない。

 「ウィルスの脅威を媒介しているかもしれない」という前提で人と接するのは恐ろしいことだ。そもそもウィルスは恐ろしいけど、常に相手に疑いをもってしまう自分自身が恐ろしい。いつからこんな人間になってしまったのだろう。

 

 すべての”世界”は変わりつつある。好むと好まざるとにかかわらず。