蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

小さいスーパーに行こう

  コンビニよりか大きいけど一般的なスーパーよりも小さい、そんなスーパーが好きだ。

 そういうスーパーは、住宅街のあまり広くない道を歩いていると突然出現する。

 店の前に野菜とかカップ麺とか陳列してある場合もあるし、それこそコンビニみたいになにも陳列していない店もある。唐突に林檎だけ並べてあることもありえる。

 品ぞろえは、一般的なスーパーに比較したらそりゃ悪い。

 たとえば豆乳だったら一種類しか置いてないし、チーズだったら雪印のなんか安いやつしかないし、ビールだってほとんど発泡酒しかない。

 お惣菜もない。肉のコーナーはひと目で全部見えるくらいしか置いてない。

 こう書くとなにも置いてないように見えるが、しかし、小さいスーパーには必要とするものが必要な分だけ、ちゃんとあるんだからすごい。

 林檎が欲しいとおもえば、どこ産でなんて種類なのかは不明だがともかく「林檎」があるし、鶏肉が欲しいとおもえば品質はともかく鶏肉がある。念じれば念じたものがある。そういう店だ。

 そうとう凝った料理を作ろうという野心が無いのであれば、たいていは小さいスーパーで事足りる。

 顧客が求めている”本質”の部分を確実に満たしてくれる。あの狭いスペースと最低限の品ぞろえで。いかに世の中いらないもので溢れているかわかるというものだ。

 

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 大学生のころ、この小さいスーパーにたいへんお世話になっていた。

 学校の近くに「ピアゴ」という小さいスーパーがあって、それは商店街から一本か二本外れた道沿いにひっそりと店を構えていた。

 本当に小さくて、ちかくにあったコンビニよりも狭かったかもしれない。

 だけど、そこには生活に必要とするものの最低限のすべてがあった。

 

 お昼休みになると、学校内にあるコンビニでも、近くのコンビニでもなく、ピアゴに向かった。

 学内のコンビニは混むし、近くのコンビニも私とは質の違う馬鹿な学生で溢れていた。私が救いようのない馬鹿だとしたら、彼らは憎たらしい馬鹿だった。

 同じ馬鹿だと思われたくなかった私は、誰にもほとんど知られていないピアゴを愛用していた。

 給湯器もあったし、コンビニよりも安かった。

 そこでパンや豆乳を買ったり、カップヌードルを購入してお湯を注ぎ、ちかくの公園の大きいクジラの遊具の上で食べていた。友だちがいなかったのだ。

 あの頃は、ちょうど5年前くらいだが、朝から夕方まで授業がみっちり入っているのに友だちが一人もおらず、空き時間は公園のクジラの上でふて寝するしかなくて、なんだか思い出すと心の柔らかい部分が、さわさわと疼く。

 

 小さいスーパーから話が逸れてしまって申し訳ない。

 小さいスーパーについて語るべきことなんて無いのだ。