幼いころ、幼稚園から小学生くらいまで、私はビデオをよく見ていた。
ウルトラマンや、ジブリや、しまじろうのビデオを繰り返し繰り返し見ていた。1999年から2000年代前半にかけての私は、飽きもせずに同じビデオを、テープが擦り切れるまで見ていた。
当時はDVDが出始めた頃で、ビデオは淘汰されつつあったが、うちにはビデオデッキしかなかった。旧態依然の父がDVDプレイヤーではなくビデオデッキしか購入してくれなかったのである。
そういうわけで、ビデオも発売されなくなり、DVDで再販され、新作がDVDでしか出なくなっても、しょうがないので、同じビデオを毎日毎日見ていた。
だけど、飽きなかった。
同じものを繰り返し見ても毎日違う発見があるようだった。
あれはなんだったのだろう、と今になって思う。
あの頃は漫画だってボロボロになるまで読んでいた。アニメをセリフを覚えるくらい見ていた。
同じ話を延々ループしていた。あるアニメを途中から見ても全力で楽しめていた。
それだけ幼いころは、誰しもそうだと思うけど、なんだって何度だって新鮮だったのだ。身の回りには常に刺激が溢れていた。
Eテレの「おかあさんといっしょ」とか今になって見ると、なんか数十日同じ内容のものを放送していて怖い。子どもを騙してるんじゃないかって怖くなる。これが大人のやり方か。それでも子供は毎日楽しめるのだ。
日々コンテンツを使い捨てている私たちつまらない「おとな」は子どもたちを見習った方がいい。自分が制作者だったら、そうおもうものだ。
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それにしても私が子どもの頃は、そういった番組の内容やアニメやウルトラマンのストーリーを理解できていなかったような気がする。
今でもときどきウルトラマンの戦闘シーンやセリフを、たとえば沐浴中にふと思い出すのだが、ストーリーはまったく思い出せない。
思い出そうとしても、とてもあやふやで因果性がなく、「印象」が場面を切り取って連綿とつづいていく、夢のような話としてしか思い出せない。
これはおそらく、当時の私がストーリーに抱いていた印象の記憶なのだろう。
ウルトラマンが戦っている。なぜかわからないけどキックをしている。それでいい。そう思っていた。なんてライブ感のある生き方だろう。
あの頃は「一瞬」の連続を感じながら生きていたのかもしれない。犬みたいに。
大学生くらいになって、小学生ぶりにジブリの『紅の豚』を見て、びっくりした。
これは子どもが見てもつまらんだろう。
どおりで小さいころ何回も見ていたのに覚えていないわけだった。
『千と千尋の神隠し』が上映されたのは私が小1とかそのくらいで、映画館に観にいって、たいへん楽しい思いをしたのだが、小6くらいになってあらためて観賞し、私が覚えていたストーリーとまったく異なっていたので驚いた。
私が小1のときに松山の映画館で見たのはなんだったんだ?そうおもうくらい、違っていた。(ずっと千尋が「坊」に変身したのだ、と勘違いしていたし、両親は豚になったまま永久追放されたのだと誤解していた)
みんなもそんな感じなのだろうか?
それにしても私の頭脳は情報処理能力が低い気がするが。