『ヒカルの碁』を読むと、なんだか頑張ろうと思えてくる。
登場人物たちの努力や成長、敗北と勝利、友情と劣等感と闘争心が読む私にも伝わってきて、囲碁漫画とは思えない迫力にあてられる。
100話ほど読んで、物語は次なるステージへ進んだが、これだけ読んでいるのに囲碁のルールがいまいちピンとこないのもすごい。
ルールがよくわからないのに、読んでいてとても面白い。ルールがまったくわからないのに、手に汗握る名勝負の連続でハラハラさせられる。
ルールがわからないのに漫画を楽しめるのは私の才能だろうか?
いいえ、作者の能力です。
あえて語弊のある書き方をすれば、『ヒカルの碁』は囲碁が題材というだけで、内容は人物の成長を描くヒューマンドラマなのだ。
詳しい棋譜はあまり出てこないし、長たらしいルール説明もない。少なに語句の説明があるだけで、実際の勝負は視線の交わし合いや無言の会話や効果線的な勢いで描かれている。
だから、本当に囲碁を知っていて、教養的囲碁漫画として読もうとする人にはオススメできない。
この漫画は、囲碁を通して描かれるヒューマンドラマなのだから。
将棋漫画の『3月のライオン』にも同じことが言える。
将棋なんて駒のかたちが将棋の駒型であることくらいしかわからないのに(要するになにもわかっていない)、この漫画もまたルール説明はがっつりせず、白熱する試合模様を描いている。
読みながら汗を垂らし、ときに涙し、笑え、悲しみ、朗らかな気分にもなれる。
この漫画もまた、将棋を通したヒューマンドラマだからだ。
『ヒカルの碁』も『3月のライオン』も、プロの棋士が監修している。
単行本には解説が付いていることもある。
そう。作者は、当たり前だけど、プロ程には囲碁も将棋も知らないのだ。
だけどそこがよいところで、たぶん、プロ程に知っていたら、勝負の内容は細かくなってかえって読者を置いてけぼりにし、コマには細かい棋譜が並べられて、数週間で漫画は打ち切り、詰み、になるだろう。
『HUNTER×HUNTER』という漫画では架空の盤上ゲーム「軍儀(グンギ)」が登場する。
このボードゲームのルール説明は一切なく、公開された情報としては、
・将棋のようなゲーム
・コマを縦に重ねることができ、三次元的な戦略性
を問われる
くらいしか読者に説明されていない。三次元的な戦略性ってなんだよ。
にもかかわらず、軍儀は物語上、かなり重要なアイテムとなる。
ルール説明どころか架空のゲームなのに、読者に読ませてぐんぐん物語に引き込んでいく。
なにかわからないけどなにか凄いことが起きているんだ、とわからせるその筆力よ。
ゲームに限らず、スポーツ漫画にも同じようなことが言える場合が多い。
それだけでなく、医療漫画や、結局バトル漫画だって何が起きているのかわからない場合はよくある。なんかすごい技を繰り出している、ということしかわからない。
私たちはきっと、勝負の外側のかたち(どこに駒を置くとか、どこを殴られたかとか)ではなく、物語の根幹の流れをくみ取って読んでいるのだ。そう考えると、けっこう読解力いるんじゃないか。そんなことないか。