例によって昔話なのだが、ある侍のところに、ひときわ凄まじい斧を背負って、ホラ貝を腰につけ、錫杖(しゃくじょう)って言うのかな、よく修行僧が持ってるジャラジャラした杖をついた、見るからにヤバイ山伏がものものしい雰囲気でやって来て、庭に立っていた。
通報しようかと思った。
だけどここは侍の家、通報しても自分でなんとかしなきゃいかん。侍は訊いた。
「誰ですか。いきなり現れて……不法侵入ですよ。切りますよ。侍ですよ私は」
すると山伏はこう答えた。
「是(これ)は日比(ひごろ)白山に侍(はべ)りつるが、御嶽(みたけ)へ参りて、今二千日候(さぶら)はんと仕候(つかまつりさぶらひ)つるが、時料(じれう)尽きて侍り。まかりあづからんと申しあげ給(たま)へ」
やっぱり話の通じない奴だった。ちゃんと喋れよ。いや、むしろちゃんと喋りすぎだよ。意味わからないよ。
見た目のヤバイ奴のうちに、たまに中身がまともそうな人もいるけれど、たいがいはやっぱり中身も危ない人間である。
というのも、外見は中身の拡張にほかならず、パーソナリティを表す端的な記号であるからだ。この山伏もそういう人間であるのだなぁ。めでたしめでたし。
って話をまとめたくもなるが、まだ話は終わっていない。
山伏のおでこを見ると、眉間に2インチほどの傷がある。なんだかまだ癒えてない様子で生々しく赤い。
「その額の傷はどうしたんですか?怪我をしているのですか?」
山伏はいかにも尊いことのように声を作って言った。
「これは傷ではない。随求陀羅尼(ずいぐだらに)を封印しているのだ」
なんだ、現代語でちゃんと喋れるんじゃないか、とそこは安心したが、言っている意味はよくわからない。
残念だが、頭がおかしい人なのだろう。暖かくなるとこういう人は商店街とか改札口とかによくいる。
だが、山伏の堂々とした態度や尊げな口ぶりに孕んでいる妙な説得性を聞いて、これも悲しいことだが、何人かの侍は「すげぇ」とか「めっちゃ偉い人なんじゃないですか」「先輩の家にあげたほうがいいっすよ」なんて言い始めた。
初歩的なマインドコントロールである。
侍は怪しんだ。指とか手を切った人なら数知れず、だけど額を割って随求陀羅尼を封じている人なんて見たことも聞いたこともないのだ。
もしこの山伏が「本物」だとしたらすごいことだ。
たいてい、「本物」の凄い人というのはちょっと話の通じないところがあったり奇抜な格好をしていて世間から浮いているようなところもあるものだ。もしかしてこの山伏もそういうタイプなんじゃないか。
そういうちょっとした迷いもあって、たしかに変な人だけど気迫とか声の感じとかちょっと他にはない見どころのある人物だよなぁなんて思い始めて「へぇ、そりゃあ、すごいことですねぇ。どうです、上がって茶でも」なんて言ってしまったところへ、17歳の若い小侍が走って来て、言った。
「おい、このキチ○イ法師めテキトーなこと言いやがって。アニキ、騙されちゃいけませんよ、あの傷は陀羅尼なんて封じちゃいません。あれは七条町にいるオイラの友だちの家の近所の、鋳物屋の姉ちゃんを寝取ってた男ですよ。去年の夏に、旦那さんに寝取りをバレて逃げたときに、うちの前で捕まって鍬でぶん殴られたときにできた傷ですよ。騙されちゃいけません。なんも凄くない、ただの嘘つきですよ」
危うく騙されるところであった。
若い侍の話を聞いてみんな我にかえり、「つくづく変な男だと思っていたのだ」「最初から気付いていたぞ」「こんな小汚い山伏風情が聞いて呆れるわ」などと口々にしたが、山伏はというと存外しらけた感じでつまらなさそうに立っており、なんならとぼけた様子で、ふん、と嗤い、言った。
「そのついでに陀羅尼を封印したんだよ」
みんな「わっ」と笑った。
おかしな山伏もどきだが、なかなか頭の良い奴かもしれない。なんて思ったが、笑い声の隙に山伏はどこかへ逃げてしまった。
なんだったんだ。
おしまい