蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

読書バージンを捧げたあの本

 生で最初に読んだ本はなんだろう。

 幸運にも、私はそのときの経験を覚えている。

 

 あくまで「経験」を覚えているのであって、本の内容もタイトルも忘れてしまい、おぼろげな記憶で検索にかけたがついに見つけることはできなかった。

 その本を読んだのは小学1年生のことで、まぁ、絵本みたいな、「かいけつゾロリ」的な体裁の、ポプラ社的な児童向け絵本だった。

 猫が冒険をする話だ。

 捨て猫だったかもしれないし、ドラ猫だったかもしれないし、野良猫だったかもしれない。代官山で暮らしている長毛の外国種ではないことだけは覚えている。庶民的な猫の話だ。

 「ユウヒ」って名前の猫だった気がする。だけど「ユウヒ」「ゆうひ」「夕日」などで調べても見つからないから違うかもしれない。

 もしかして犬だったかもと思い調べたが、思ったような本は出てこなかった。世の中にはありとあらゆる犬がなんらかの冒険をしていることだけがわかった。

 

 まぁ、たぶん猫だった。その猫が何らかの事情で冒険を余儀なくされ、冒険を終えるまでの話である。多くの冒険物語には終わりがある。

 

   ↓

 

 小学校にあがって、図書室に行き、驚いたことを覚えている。

 こんなにたくさんの本があるなんて初めてのことだった。幼稚園の「えほん室」とは比べようがない。

 ドラえもんの学童教育漫画もあるし、「かいけつゾロリ」もあるし、伝記もたくさんあった。「はだしのゲン」もあった。図鑑もあらゆる種類取り揃えられていた。

 余談だが、高学年になってからは原爆資料と深海魚の図鑑しか見なくなる、かなり偏りのある子どもになってしまった。

 

 「かいけつゾロリ」は大人気で、どの巻もボロボロになっており、ガムテープで補強されたり、ページが破損していたり、ふろくの迷路や絵に隠れているお母さんの幽霊にえんぴつで丸がついていたりと、小学生特有の猖獗(しょうけつ)を極めた状態であった。山賊だってもう少し丁寧に本を読むだろう。

 その「ゾロリ」の棚のとなりくらいに、だいぶ古いけどそこまで傷んでいなくて、いかにも人気のなさそうな、件(くだん)の本があった。

 どうしてそれを手に取ったのかわからない。特別気になったタイトルでもないし、強烈に惹かれたわけでもない。ただ、吸い寄せられるように、私はそれを手に取った。運命だったのかもしれない。

 なんとなく自分の名前の代本板を挿し、なんとなく、借りてみた。

 

 熱中して読んだ。たいへんおもしろかった。

 文字を追うだけでこころがワクワクしたり悲しくなったりすることが不思議であった。

 それは何百回と読み聞かせられた絵本では味わうことはできず、幼稚園から小学1年生になった情緒の成長過程で得られた初めての読書体験だった。

 読み終えて本を閉じたときに、さわやかな達成感があった。おれは一冊の本を自分の力で読み終えることができたのだ。カタカナも読めたのだ。今までは感じることのできなかった、「自分の力でやり遂げたこと」に静かな自信を感じていた。

 借りてる間、何度も読み返した。得意げになって、内容を親にも話した。

 読んでいるときは周りの音も耳に入らないくらい熱中して、読み終えると徐々に現実にこころが引き戻されていく感覚は、今なら、熱い風呂から出て夜風にあたって熱を冷ましているような感覚と喩えることができるけど、あの頃は喩えなんて無くて、読書熱の純粋な温度に身を委ねて気持ちよさに浸っていられた。

 

   ↓

 

 件の本は気が付いたら本棚から消えていた。

 最後に背表紙を見たのは3年生くらいだったかしらん。

 司書の先生にも聞いたけど、うろ覚えのタイトルを伝えても首を捻るばかりだった。

 

 読書バージンを捧げたあの本を、今一度手に取ってみたい。