引っ越しをするにあたって冷蔵庫をいつ買うべきか恋人と相談しているときに、以前独り暮らしをしていたころに使っていた冷蔵庫のことを思い出した。
彼は良い奴だった。性格が良かった。
当時は冷蔵庫なんてなんだっていいと思っていたので、家電量販店へ行き、最も安いものをくれと店員に頼んだ。
最も安いやつは、大きさが扇風機くらいしかなくて、ビジネスホテルのものより少し大きいが一般的な冷蔵庫よりは3回りほど小さく、見るからに鈍重で、なんていうか「箱」そのものだった。
「冷蔵と冷凍ができます」とだけ案内された。
野菜室はもちろんないし、真空チルドの概念は持ち合わせているわけがなく、色も最初から影を落としたような灰色で、「プロトタイプ」的なおもむきの、必要最低限の機能しかなかった。
「冷凍庫に霜が付くタイプですね。霜がつくと故障が早かったり、冷気が損なわれたりします。霜がつかないタイプですと、ほんのすこしお値段上がりますが使い勝手も良くて……」
霜なんて、趣(おもむき)じゃないか。雅だ。これでいつでも霜を使った俳句を捻れる。
「付属のヘラで霜を掻きとってください」店員は私の頑な態度に諦めてくれた。
私はそのプロトタイプ的冷蔵庫を購入した。
使ってみるとさっそく霜がつき、冷凍庫は南極たるありさまになった。
冷凍のパスタに霜がつきまくって、なんだか永久凍土から数百年ぶりに発掘したかのような様相を呈した。
だけどこれはこれでいい。「一生懸命凍らせました」感があるじゃないか。
「うん、よく働いているね」と鈍重な冷たい箱に褒めたくもなる。
今どき、仕事の見える化は大事なのだ。
どこか一生懸命で、いつも泣きそうだけど無邪気なそいつは、大きさ的にもなんだか雰囲気が「コロ助」ってかんじがした。キテレツ大百科のコロちゃんだ。
「コンニチワ~なりぃ!」って手を振ってくれそうな、憎めない可愛さがあった。
そのうち冷凍庫の霜が肥大化してスペースの半分ほどを自ら生成した白い氷で埋めたり、冷蔵庫のきゅうりを液状化させたり(これは私のせいだ)、卵を腐らせたり(これも私のせいである)、かずかずの問題をおこしつつも、私の一人暮らしを支えてくれたよきパートナーになった。
↓
2年後、いよいよ実家に帰ろうかという段になって、引っ越しの2日前、唐突にその瞬間は訪れた。
その晩、「バキン」と音がした。なんの音かわからずほっといたら、翌朝、冷蔵庫の周りが水浸しになっていた。
冷蔵庫を開けてみると、電源は入っているのに冷気がまったく損なわれていて、冷凍庫はすこし冷えた小部屋になりはてていた。もちろん霜も全て溶けていた。
壊れたのだ。
まるで自分の役目を全うしたことを悟ったかのように、自ら命を絶ったような壊れ方だった。
自壊したのだ。
なんだか潔かったし、それがあったからもう実家に帰る時期なんだと淋しくなった。
拭いても拭いてもどこから出ているのかわからない水を吐き続ける冷蔵庫は血を流しているようでもあった(床が腐らないか心配だった)。
自ずから由として覚悟を決めたその姿に心打たれた。「私の役目は終わったのだ、君とはここでさようならだ」
あの晩の「バキン」という音は、永訣の声だったのだ。
この冷蔵庫は、小さな侍だったんだ。
まもなく業者が来て侍はトラックの荷台に乗せられ、誰も知らない果てへと姿を消した。
冷蔵庫だったけど、あたたかい僕の友だちの話さ。