蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

カ(和)ン(菓)ト(子)リ(ア)ー(ソ)マ(ー)ア(ト)ム

 ばあちゃん家に置いてあるお菓子を最近好んで買ってる。私にはおばあちゃんがいないので想像だけども。

 

 「和菓子アソート」みたいなものを見かけたら買っている。

 

 小さいどら焼きや羊羹、最中、六方焼き、栗饅頭などの入ったパックである。

 以前は「きのこの山」や「コアラのマーチ」を特に好んで買っていたが(小学生かよ)、和菓子アソートを買い始めて自分も落ち着くところに落ち着いたナ、と人生の秋をも感じ始めている。

 ドラッグストアなどで見かけると必ず手に取ってカゴに入れ「結局こういうのでいいのよ」とオバサンみたく言ってこめかみを掻く。

 

 お菓子は勤務中に食べるのだが(うちの会社は勤務中にお菓子を食べて良いのだ)、その際、小分けになっていると食べやすいし手も汚れない。

 それから、チョコレートや砂糖菓子よりも、あんこの甘みがなんていうか直接脳に沁み込む感じがあって、疲れたときなんかはその甘さにうっとりして痺れる。

 魔力的な味がする。

 しみる。

 やさしく寄り添ってくれる甘さで押しつけがましくないところが、社会に揉まれている日々から慰めてくれるようだ。つらいことも多いけど小さな幸せをたくさん見つけて胸いっぱいに暮らそうと思えてくる。

 「和菓子アソート」の小さい最中一個でそんな気持になれる私は、幸せ者だ。馬鹿に暮らすのがいちばんいいって、ばぁちゃんが言ってた。いなかったけど。

 

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 和菓子アソートについて書くことなんてぜんぜんないので何を書けばいいのかわからなくなってしまったが、ところで私はカントリーマアムが大好きだ。

 

 甘味は和菓子アソートとカントリーマアムしか買わない。それ以外はすべて邪道だと信じてる。異教徒だと迫害している。

 

 クッキーでもビスケットでもパンでも餅でもない「カントリーマアム」は「カントリーマアム」でしかなく、そういうところがユーモアあって面白い。「おもしろいやつだ」と言って食べることがしばしばある。

 あの食感も中途半端だけど「カントリーマアム」であることに徹底しているし、カントリーマアムにはカントリーマアム的あの食感しかありえないと思わせる。すごく洗練されている。

 ものすごく甘いのに、殴りつけるような甘さではなくて、撫でてくれるような甘さだ。

 マアム、と自称するだけあって、実に母的である。

 日本は母性社会の病理に蝕まれているので、カントリーマアムがうってつけだ。

 同じように、和菓子アソートの甘さも似通ったところがあり、そこに祖母的な視点を介在させるのであれば、やはり日本社会は心理的母に支えられ、あるいは束縛されているのだと痛感する。

 分断と力で統率する父性社会の欧米諸国ではチョコレートのような強烈な甘さが愛されているのもこうして考えると頷けるというものだ。

 

 さっきから何を言ってるんだ。

 読者に甘えてるな。