小学校2年生くらいの頃、当時通っていたスイミングスクールの臨海学校があり、それに参加する羽目になった。
海でシュノーケリングをしたり、なんかいろいろやったりする臨海学校だ。
なんかいろいろやったりする、と曖昧に書いたのは記憶がかなり曖昧だからである。
小学生男子40人くらいで、同じ和室に寝泊まりし、たしか3泊か4泊くらいした。
あれはどこの海だったのだろう?
フェリーで渡った覚えがある。
千葉県か、伊豆か、それとも大島か、今となってはわからない。
滞在期間中は常に曇天で、細かい雨が降っていて、なんだか寒かったことを覚えている。霧が下りていて、朝民宿のまわりを散歩したときに庭の先が見えなかった。
私は夏風邪を明確に引いていたのだが、それでも臨海学校に行かされた。
どういうことなのかよくわからないのだが、風邪ひいてる子どもを行かせるなよ、親。
シュノーケリングに馴れなくてぜんぜん楽しくなかったし、知らない人たちと食事をするのも苦痛だったし、体調も悪いし、知らない人たちと共同生活をするのがとにかく厳しかったことだけは明確に覚えている。
皆はすぐに友だちができてワイワイやっていたが、私はあの頃から隅っこにいて、打ち解けてお喋りができず、自分の知らない話題に笑う人たちの話に「は、は、は、」とうすら寒い笑いをすることしかできず、みんなと同じところにいると心が擦り傷を負ってじわじわ減っていくような感じがした。
とにかく団体行動なので一人になれず、それがずっと苦痛だった。
昔から自分は「こう」だったんだなぁ。あの頃からなにも変わっていない。
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あの臨海学校はなんだったんだろう?
2年に一回くらい思い出してはわからなくなる。
どこだったのか?いつだったのか?なぜ参加させられたのか?本当にあったことなのだろうか?
私だけが体験したことなので、誰かに「あの臨海学校さー」と聞くこともできない。参加していた子どもたちはまったく違う学校だった。
たしか翌年にも臨海学校の誘いが親からあったが、私は明確に断った。
あんな思いは人生で一回すればいいとおもった。
「あんな思い」とは、集団の中で孤絶する孤独感のことである。
当時の私に言いたい。
これからの人生、その孤独はずっと続くよ、と。
そしてたぶん、変われるとしたら、その臨海学校がチャンスだったのだろう。あそこでなにか自分の殻を突き破ることができたら、私の人生はまた違ったものになっていたかもしれない。
なんだったんだ、あの臨海学校。