夜道を歩いていると、前方にそのシルエットだけで中年男性とわかるおっさんが、のほほんと歩いていた。
お手本のような小太り体型で、身長は高くもなく低くもなく、すこしだけ禿ていて、横に揺れるように歩いている。
絵に描いたような中年男性だった。
ヨレヨレのスーツは「スーツ」というか「背広」と表現した方が適切とおもわれた。いまどき背広なんて言わないけれど、おじさんをまとうそれは大袈裟な恰幅と重さとくたびれ方に「背広」と言わしめる風格があった。
提げた革鞄は年季が入っているがボロボロではなく、大切に扱っている鞄特有のぬめり気のある光沢が街灯を反射しており、あの持ち手にはおっさんの汗が染み込んでいるのだろうと陰湿な心緒に陥る。──たとえば鞄を煮込んだらおじさんの出汁が出るかもしれない。いや、おっさんの手はカサカサしているから存外出汁は出ないかもしれない──などと。
いかにも仕事に疲れているようでもあるし、夜の風を楽しんでいるようでもある。
おじさんという生き物はたいていどこかしら体調が悪く元気溌溂としている人はいない。元気溌溂おじさんは特殊な訓練を積んでいる一部のおじさんに限られているのだ。
おじさんは体力も落ちてくるし、頭も回らなくなってくるし、イライラしやすいし、仕事では上からも下からも挟まれるし、ふつうに体調が悪いし、歯を磨くとオエッてなるし(自分も最近オエッてなる)、臭いし、やってらんないことも多いだろう。
それでも頑張っている。なんとか堪えている。古くなった荒縄で、なんとか巨岩にしがみついている。
おじさん。
おっさん、と言うと軽んじているようだからやめよう。彼を、おじさん、と呼ぶ。
敬意をこめて。
おじさんは、本当はよくないのだが、歩きタバコをしていた。
たばこ、煙草、烟草、タバコ、と書く中でいちばんおじさんに即している表現は「タバコ」とおもう。なぜなのかわからないが、「タバコ」の文字の見た目がいちばんヤニ臭くて庶民的で余計な情緒を排している感じがある。
おじさんは、よくないのだが、歩きタバコをしていた。
のほほんと歩きながら、時折夜空を見上げて深く息を吐く。風に吹かれて焔先が淡く明滅する。
その煙のにおいにロマンスやメランコリィはなく、ただ一日の終りの合図のような淡々とした気配が漂っている。
なんとか今日という日を終えた、とりあえず家に帰ろう、うちじゃカミさんがうるさくて吸えないんだよネ、まぁまぁともかく、今日は終わったんだ、良くも悪くも、いまはなにも考えなくていい。
おじさんの歩きタバコには儀式的な意味合いがありそうだった。ルーティンと言ってもいい。
ゆっくり歩きながらゆっくり煙を夜に溶かしていくその儀式は、歩きタバコで本当はよくないのだけど、なんていうかおじさんなりの妥協した充実感と妥協ゆえの遣る瀬無さが垣間見えた気がした。
この世で最も哀愁のある生き物は、おじさんとバビルサ(※)だろう。
(※バビルサは自らの牙が脳に刺さって死ぬため、死を見つめる動物と呼ばれている)
この生活を何十年と続けてきたのだろう。
うまくいかないこともあるだろう。あっただろう。現状に満足しているわけではないのだろう。夢を見ることを忘れたんじゃない、夢を見ている場合じゃない現実と向き合ってきたのだろう。
その、一日一日の積み重ね、絶え間のない努力ともいえる「生活」の締めくくりが歩きタバコなのだ。
一日の終りに風呂に入るような、ルーティンでありご褒美でもあり、赦しである歩きタバコだった。
やましいことなんてなにもしていない人の、歩きタバコだった。
歩きタバコはよくない。
だけど、おじさんの背広を見つめていたら、いまは私以外周りに人もいないし、別にいいじゃないかとおもった。
おじさんがなにか悪いことをしただろうか?麻薬の密売でもしているだろうか?婦女を暴行したり若い臓器をビニールに入れて持ち歩いていたりするだろうか?
正体は不明だけど、見た目は小市民だ。小さな市民で、街の明かりを灯す一人のヒーローだ。
これは、一人の男の、一日の終りなのだ。記念的でも悪夢的でもない、明日には忘れていそうな一日だけど、大切な積み重ねた一日の、終りなのだ。
邪魔しないであげてほしい。
おじさんは悪い人じゃないんです。
ポイ捨てはするなよ、おじさん。
そんな想いでおじさんを抜き去り、私は帰路を歩んだ。