私はこう見えても(どう見て?)、実はコンプレックスがある人間であるのだが(すべての人間になにかしらのコンプレックスはある)、なに、安心してほしい、マザコンやロリコンではない。
暗算コンプレックスなのだ。
暗算が破滅的にできない。
おそらく脳細胞の暗算を司る回路が焼け落ちているのだろう。そのくらい暗算ができない。
8たす3くらいはできる。
九九も言える。九九も言えるから割り算もできる。
そのくらいは問題ないのだが、二桁になると急に尻込みをしてしまう。
37たす59は?と卒爾(そつじ)に問われたら、ふむ、とりあえず紅茶でも淹れようか、と提案したくなるくらいには動揺を抑えるのに必死になり、計算に時間を要する。
エート、なんだったっけね、36?ああ37ね、その数字なら聞いたことあるよ、宮沢賢治の享年だ。それで、37がどうかしたの?
といったぐあいに時間稼ぎをする。
その間に暗算を司る少ない脳細胞が複雑な四則演算処理をしている。
まったくもって情けない。
答えは96に決まってるだろ。馬鹿にしてんのか?誰が茶を飲んでいいと言った!金を払え!
などと、ことさらムキになって、馬鹿にした人の首を市中に晒してツイートでもしたくなってくる。
まぁ、ちょっと盛ってしまったけど実際足し算でそんなに時間はかからない。
問題はこれが引き算になると倍くらいの時間を要するということだ。かけ算になると考えることを止めて、誰かが答えを出してくれるのを待つことにしている。たとえ日が暮れても待つことにしている。
こんなことだから、周りの人たちはすごいなぁと常々おもう。
みんなほんとうによく勉強してきたんだ。小学生のときにクモンでも通ってたのかな。百ます計算を浴びるほどやらされてきたのかな。
今まで勉強をサボって日がなくだらない妄想に耽っていたツケがいま回ってきたんだ。公園中のダンゴムシを丸めてニヤニヤしている時間が長すぎたんだ。
私はとても後悔している。
恋人は暗算がはやい。
昔、そろばんをやっていたらしい。
そろばんをやっていたのなら暗算がはやいのは納得できるのだが、そろばんをやっていなかったのに人並みに暗算ができる人っていったいなんなのだろう?
普通に過ごしていたはずの私がここまで暗算できないのはなぜなのだろう?
これは、マジの話、私の脳細胞は人よりも暗算を司る部分が著しく欠けているのだと考えられる。
宅配業者や出前や売店はすごい。
代引きで細かい端数のある金額の合計とおつりをパッと計算して見せる。電卓を使った方がいいんじゃないか、とおもうけど、電卓よりもはやい。
計算ミスが無いようにいちおう電卓を使う人もいるけど、数字を打ち込みながら結果の金額を伝える人もいて、そういうのを見るたびに、とても優秀なんだ、と自分と比べて悲しくなってくる。
悲しくなるので、決して暗算をして見せないでほしい。
店の何割引きとか何%OFFという数字を見ても具体的にどれくらい安くなるのかわからず、感覚でしか捉えられない。
レジスターに商品を持って行って、その結果でああこのくらい安くなってたんだ、と知る日々。
10%OFFならそんなに興奮するほどじゃないな、って感じで、30%OFFだと、おっ、ちょっと太っ腹じゃん、って嬉しくなり、60%OFFにもなると逆に怪しいな、と訝しくなる。
そういう「だいたいの雰囲気」で数字を捉えている。
数字は揺るぎようのない確たる概念だが、なんだか数字ごとに色があって、性格があって、雰囲気があると私はおもう。3ってぜったいやわらかいし、28って公務員ですよね。
たぶん、この数字を捉えるところから間違えているのだろう。
暗算できなくても大丈夫な現代。
スマホの電卓で充分通用する。正確無比だし、電卓があるんだから電卓を使えばいい。暗算で済まそうとするなんて旧時代的だ。もう21世紀だぞ。
血の涙を流しながらこれを書いている。
油断すると簡単な計算も間違えるし、日数計算なんて間違えまくるので絶対にやらない。
たとえ馬鹿にされようと、間違うよりか電卓を使ったほうがいい。
さんざん馬鹿にされてきたけど、どう頑張ってもどうしようもないので諦めた。馬鹿にするがいいさ。
馴れてるから。
暗算が著しくできないことについて、いつか病名が付けられたら、私を馬鹿にしてきた人間を片っ端から訴訟していこうとおもう。
全員名前を覚えているので、震えて部屋の隅に丸まっていなさい。安眠できる夜が二度とこないと思いなさい。食事がすべて砂の味になる覚悟をしなさい。
計算結果にとらわれない人生なんだよこっちは。
血の涙。