Eスポーツってどうなのよ、とおもってた。
要するにゲームの大会なわけだが、たかがゲーム、を、スポーツ、などと称するのはいかがなものか。
多くのおじさんがそう思っているように(偏見)、私もそうおもっていた。
だって肉体を使ってないじゃん。汗水たらしてないじゃん。
おじさんは、スポーツで汗水を垂らして、ときに泥だらけになり、ときに血塗れになり、ときに苦痛に顔を歪める若い人間を見たいのだ。
Eスポーツて。冷房効いた部屋でゲームですか。
いいのかそんなことで、おい。
と、偏見を抱いていた。
おそらく日本の主流となるカルチャー全体にその感覚があって、だから海外勢に比べたら日本でのEスポーツの知名度は低く、「なんかすごいゲーム大会なんでしょ」みたいな軽んじている雰囲気があり、選手の名前も知らないし、そういう風潮があるから選手を育てる風土もなくて、いまいち活気がないのではないか。
日本の人口の多くがおじさんをはじめとする古い常識や慣習にとらわれて柔軟性が無い人ばかりなので、Eスポーツが人権を得るのはまだ先のことになるだろう。
漫画家の ちょぼらうにょぽみさんがEスポーツについて下記の漫画を描いていた。
【ちょぼらうにょぽみの凄くつまらない漫画】『藤井聡太七段が偉業を成し遂げる日々』 pic.twitter.com/WmYfV8w7J0
— ちょぼらうにょぽみ (@choboraunyopomi) 2020年7月6日
にょぽみさんの言うとおり、将棋や囲碁やチェスだってゲームではないか。
将棋とEスポーツの白熱に温度差はないのではないか、と視点をあらためることで思い至った。
ゲーム実況や大会の動画を見ていると、見ている人々の胸を熱くすることに違いは無いのだと感じる。
たかがゲーム。そうかもしれない。
だけど、コントローラーを我が身以上に巧みに使い、ときに相手の戦略の裏をかき、プログラムの運命的なアルゴリズムに左右されながらも実力でねじ伏せ、世界記録を出すさまには、あついものがこみあげてくる。
Eスポーツ選手は日夜ゲームを研究し、一日中ゲームをしているらしい。十何時間とか、ときには寝食を惜しんで。
そのゲームの熱と、将棋の白熱と、スポーツ選手の熱の、どこに違いがあるだろうか?
ない、と私は断言したい。
「たかがゲーム」と思って軽んじていた自分を恥ずかしくおもう。
視点をあらためれば、私のように考えが変わるひとも多いだろう。
今後Eスポーツがメインカルチャーに入っていくには、簡単な話が時間の流れによる世代交代、時代の新陳代謝だが、それはどちらかと言うと後ろ向きな発想で、前向きな志向で現実的に考えるのなら、そもそも「Eスポーツ」という名前を改めてみてはどうだろうか。
「スポーツ」と名乗るから偏見が生まれるのだ。
将棋だって囲碁だって、「Eスポーツ」の言う「スポーツ」の定義に当てはめれば「スポーツ」なわけだが、誰かに将棋を説明するときにスポーツです、と紹介する人はいないだろう。
なにか、「スポーツ」という言葉を使ってしまうところに、ズレというか、まだまだ感覚の違いがあるのではないかとおもうものだ。
電戯(でんぎ)、と名乗ってはどうか。
電脳遊戯大会の略だ。
これはこれで禍々しいな。