土曜と日曜の2日間は来(きた)る引っ越しに向けて各地を奔走した。
鍵の受け渡しがおわり、クリーニングしたばかりのまっさらな部屋に入った。
ワックスのちくちくしたにおいがして、そこにはなんの生活の気配もなかった。
部屋の内見をした6月末はまだクリーニングが終わっていなかったので以前の住民の遺した汚れや傷があり、もちろん もぬけの殻だったわけだが、そこかしこから生活の気配が漂っていた。
エアコンの痕跡や、家具を置いていたシミ。遺された汚れの具合から、なんとなく、前の人は丁寧に暮らしていたのだとわかった。引っ越しに伴い掃除をしたのかもしれない。
ちゃんと掃除をしていたのだとわかる汚れ方だった。
きっと、ちゃんとした人が住んでいたのだろう。
まっさらな壁、まっさらなフローリング、すべてが直角と直線でできた部屋。
雨戸をあけ、まだ照明のない部屋に、南から光が差す。
はじまったんだ。その瞬間、強くそうおもった。
北の窓も開けて風を通す。
来週、引っ越しをする。
荷物を搬入し、家具が揃い、家電が揃い、実際的に生活の歯車がかみ合って動き始めるのは8月中旬になるだろう。
そのころまでに、ワックスのにおいは消えてくれるだろうか?
窓を開けると風が通って、マスクを外すと首が涼しい。ワックスのにおいが次第に薄れていく。
南の窓から差す光が、床に座った私の手をあたたかく染めていく。
さっそくカーテンを取り付けてみる。ひらりとひるがえるレースカーテンは風の可視化だ。
はじまったのだ。
手に入れたものに自分たちのにおいが染み込んでいく感覚。
新品でも中古でも、自分で使ううちに、自分のそばに置いておくうちに、自分のにおいに染まっていく。
むかし、友だちに本を返したときに、君のにおいがするね、と笑われたことがある。インドのお香を焚くにおいだ。あの頃はインドのお香にハマっていて、本を貸してくれたあの子にはちょっと申し訳ないことをした。借りた本は『失われた時を求めて』だったから。
インドのお香ではないにせよ、この新居も、これから持ち運ばれる家具も、だんだん私のにおいになっていくのだろう。
いや、私たちのにおいだ。
恋人と私の、生活のにおいだ。
二人の生活が生み出すにおいは一体どんなにおいになるのだろう。
それはまだわからないし、きっと気付けないものなのだろう。
自分たちにとって過ごしやすい温度で、心地よい香りのする、やわらかい綿野原のような生活を、紡いでいけたらいいとおもう。