猫、ねこ、ネコ、neko、と書いて並べ見たときに、我が家の者どもにぴったりのつづりは「ねこ」であるとおもった。
猫ほど趣はないし、ネコほど形式ばって科学的でもないし、nekoなんて瀟洒な生き物ではない。ねこ、とちょっと間の抜けた感じがぴったしである。
ところで ねこについて書こうと決めたら書くべき最近のエピソードがひとつある。
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我が家のメスねこは、布団におしっこをすることを生業としている。
母はリビングに布団を敷いて眠るのだが、すこし目を離した隙に彼女(ねこ)は布団へ駆け寄り、音もなく、けれども大量におしっこをし、抜け忍のように素早くその場を後にする。
我々が気付いた時には手遅れで、母の布団は強烈な異臭を放つ毒沼のようになっている。これまで何回布団を洗ったことか。
だから、起きたらすぐに布団を畳まなければならない。ねこをケージから出す前に、必ず布団は畳まなければならない。
畳まれて部屋の隅に置かれた布団に彼女は近寄らず、ぐぬぬ、と鼻の下の柔らかい上唇の肉を膨らませて、じつに不愉快そうな様子で出窓へ跳び、呪いの言葉を吐く。
だが、母がちょっとでも油断して、あるいは怠惰になって布団を畳まないでいると、彼女はすぐさま布団へ走り、音もなく、事を致す。
これは母の怠惰に対する警告なのではないか、と私は母を諫めたが、話を聞くところによるとどうやら違うらしい。
彼女は、その布団を自分のテリトリーだと思っているのだ。
そういえば、以前布団を出していた時は、布団中央に香箱座りをし、動物番組の賢いワニや猿の動向を至極興味深そうに見守っていたっけ。
また、動物番組以外にも、アナウンサーの一挙手一投足に注目するような鋭い眼差しでニュースを見ていたこともあった。
布団の上に転がり、毛布の中に走って跳び込んだりもしていた。
彼女の動向から探ると要するに、母の布団は、ねこである彼女のナワバリなのだと言いたいらしい。
だが間違いなく母の布団で、母が毎晩寝ているものだが、彼女にとってそれはナワバリを荒らされていることと変わらず、おもしろくないらしい。
というわけで、布団に おしっこ = マーキング をしているのだ。
マーキングをした後の彼女は、母にどれだけ罵声を浴びさせられようが満足げで、当然の報いよ、と言わんばかりの意味深い微笑みを浮かべ、謝罪のひと鳴きもない。
彼(もう一頭オスねこがいるのだ)は怒られると、悪かったなぁ、申し訳なかったなぁ、と尻尾を丸めて頭を垂れるのでわかりやすいのだが、彼女の場合は自分が絶対的に正しいことを疑わず、むしろ非は我々人間の側にあるのだという強い信念のようなものを揺るがさない。
かなりタチが悪い。
精神的にはほとんど輩(やから)の域である。
可愛いからって許されてはいけない。
やれやれ。
まぁ、今日のところは見逃してやるけど。