蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

いかにも退屈そうな場所

  給休暇を取得して、役所に転入届を提出してきた。

 まだ梅雨明けにはならないが、これで晴れて引っ越しが完了したわけだ。

 

 それにしても役所や銀行は平日しか受付をしていないというのは不便極まりない。

 そのために有休を取らなきゃいけないし、ほとんどすべての人間が(少なくとも文化的な最低限度のする人間のすべてが)利用する機関で、生活インフラの一部分と言っても過言ではない(過言の可能性が68%ある)のだから、ここはいっそ日・月休みにして土曜も営業したらどうか。

 それから、いまだに手書きにこだわったり、判子に執着するのはどういうことなのだろう。

 IT技術を使ってもっと簡単にさまざまな手続きが一括に利用できれば、役所の仕事も減るし、利用者も楽だし、双方にとって便利だと思うのだが。

 最近では銀行の口座開設もアプリでできるようになっているし、情報技術はどんどん普及しているが、その速度は他国に比べたら遅いと言わざるを得ない。どうも腰が重いようだ。

 金を使うならそういうところに使った方が建設的なんじゃないか。

 「でもそういったwebサービスを利用する人はまだまだ少ないから」なんて意見は聞きたくもない。

 1年先、2年先、なんて短いスパンではなく、50年くらいの長期的なスパンで考えるべきだ。

 50年後、まだ手書きにこだわり判子が無いと何もできない役所や銀行だったらどうしますか?

 未来はないと思いませんか。

 

 なんてなことを待ち合いベンチに腰掛けながら考えること30分余、発行された新しい住民票を受け取ると、私の住所が新しくなっていて、ああ引っ越したんだ、と実感した。

 なんだかんだ紙に記載された情報を手で受け取るというのもいいものだな、なんて手の平をくるくる回しながら、役所を後にした。

 

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 銀行や役所はいつ行っても事務的なにおいがする。

 こんもりと詰まったようなにおいがする。

 ユーモアなどといったものは一切なく、清潔さを第一にそれが信用に繋がることを信じて疑わない姿勢。

 たとえば銀行ちゃんにジョークを言おうものなら、それが面白いか面白くないかに関わらず、何を意味している行為なのかまずそのところから理解できなくて首をかしげるのだろう。

 「愉快」「面白い」といった感情を知らなそうだ。

 

 でもそれが嫌いなわけではなくて、かといって好きでもないけど、行くたびに「いかにも退屈そうな場所だな」と思わされるのである。

 銀行の外に張り出された広告にスポーツ選手や芸能人が起用されているのを見ると、必死だな、と嗤える。市民になじみ深いものであろうとしている必死さが広告コピーのフォントの角からにじみ出ている。

 さも、退屈ではありませんよ、と言わんとしている。その姿勢は退屈だからこそ醸せる雰囲気だ。

 だから、銀行がちょっとしたユーモアをかますと全然面白くないにもかかわらずバズったり褒められたりする。

 それはおばあちゃんが若者のアプリを使って話題になったり、赤ちゃんが食器を上手に使うのを褒めることと同じレベルで、受け手は心の底からその行為がすごいとも思っていないし、面白いとも思っていない。

 老婆のTIK TOKの内容がめちゃくちゃ面白いからバズるのではなく、若者文化に分け隔て無く興味を持っている珍しい媼だから皆見るのである。スプーンを使って食事をすることが人類のごく一部の限られた人間にだけできる能力だから「すごいでちゅね」と褒められるのではなく、成長して食器を使うことを覚えたから赤ちゃんが褒められるのだ。箸ならもっと褒められる。

 すごい真面目な数学の先生が文化祭のステージでマイクを持ちブルーハーツを熱唱して生徒の人気を得るような、銀行のユーモアにはそれを狙ったうすら寒い目論見が窺えるので、必死だなw、とおもうのである。

 

 私はなにか、銀行に恨みでもあるというのだろうか?……