蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

蜘蛛庵の暮らし

が家には蜘蛛が多い。

1センチにも満たない大きさの、ハエトリグモとでも言うのだろうか、小さくぴょんぴょん跳ねるやつらがそこらの壁や床やドアノブや枕の上を随意に歩いている。

 

まぁ、このくらいの大きさの蜘蛛はそこまで気持ち悪くないし、むしろ可愛いものなので好きにさせているのだが、時々、鴨居から垂れさがって世界を逆さまに観察し、くるくる楽しそうに回っていたり、視界の端を異様な速度で走るので、そういう突飛なことはやめてほしいものだ。

いくら小さな蜘蛛でも驚くではないか。

この間なんて台所の換気扇のフィルターにいたのだろうか、焼うどんを作っていたら突如フライパンの上に落っこちて来て、野菜と一緒に炒められたことがあった。

焼うどんを作っていた恋人が絶叫し、蜘蛛は直ちに絶命し、私は困惑と悲しみに暮れ、恋人を守ればいいのか(なにから守ればいいのか)、それとも即死した蜘蛛に合掌をすればいいのか(宗派はなんだ)、わからなくなった。

恋人は絶叫したものの、すぐに落ち着いて蜘蛛の憐れに思いを馳せ、菜箸で蜘蛛を挟み流しに流してやった。

焼うどんは、まぁ火が通っているのだから害はないだろうということで結局食べた。今のところ体調不良は起こっていないので大丈夫だろう。まだ壁を登ったり手首から糸を出すような現象は見られていない。

蜘蛛は可哀相だった。フィルターでまったりしていたら突然の熱の気流が発生して驚いたことだろう。

憐れでもあり、マヌケでもあり、尊くもあった。

 

それにしてもなぜこんなに蜘蛛が多いのか。

探すまでもなく、そこらの壁に目を向ければぽつりと黒い点が動くのだから、私たちの住居に蜘蛛が湧いているというよりか、むしろ蜘蛛の住み家に私たちが不法に住んでいるような気すらしてくる。

蜘蛛一家は空き部屋でのうのうと暮らしていたのに、ある夏に発情した男女が突然住まいはじめたのだからとんだ迷惑だろう。

そのお詫びではないが、私だって蜘蛛のためにやれることはやっている。わざとじゃなくても殺さないように気を付けているし、家具や物を配置して隠れ家を結果として提供しているではないか。

いいかんじにコバエが湧いているので、餌だって豊富である。コバエは駆除してくれよ。

 

いないほうが良いのは確かだが、いても害ではないし、可愛いので問題ない。広大な壁を張り付いて歩けるのはなんて楽しそうにも見える。存分に歩いていただきたい。

当面は共同生活ということで、持ちつ持たれつの関係でいこうではないか、と壁を横断する蜘蛛子に言ってみると、彼奴はジッとして空(くう)を睨んだあと、ぽつりと床に落ちて本棚の裏へ消えた。

壁を歩かぬも自由。