ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上下巻を購入したのは、たしか2018年の春だったようにおもう。あるいは夏だったかもしれない。
2018年は私にとって「卒論の一年」であり、その年は論文のテーマに選んだ村上春樹の書籍を片っ端から漁り読んでいたので、少なくとも秋ではないはずだ。遅くとも夏までには『薔薇の名前』を購入していたはずである。
演劇学の授業で映画版の『薔薇の名前』を前半部分だけ視聴したことがきっかけで、原作も読んでみたいとおもった。
大学図書館に所蔵は1部しかなく、書架を訪ねると上巻は紛失し、下巻は本の「背」がボロボロに歪んでおり、とても読めるような状態ではなかった。まったく、図体だけ大きくて痒いところに手の届かない図書館であった。
文庫版で欲しかったのだが、どこにも売ってなくて、結局、ハードカバー版で買った。(どれだけ調べても文庫版が出てこないので、そもそも出版されていないのかもしれない)
ハードカバーだと持ち運びが難しく、しかも『薔薇の名前』は分厚いので適していない。
だが、それでよかったのだと読み終わって今はおもう。
この本は、家で腰を据えて、じっくり読むべきだからだ。
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2018年の上半期に購入し、2020年の下半期に読み終えた。
まったく、長い道のりだった。
卒論や就職や相続や引っ越しなどがあり、結局読みはじめたのはこの夏からで、それでも家でだけ読んでいたので、読破に一か月以上かかってしまった。
ページ数が恐ろしく多いわけでもないのだが、やたらと内容が難しく、また登場人物が多くて関係性が複雑で、みんな西欧人なので名前が覚えにくく、とにかく読んで理解するのに時間がかかった。
何度も前のページに戻っては関係性を復習するのだが、前回読んでから日を置くと、誰が何なのかよくわからなくなり、結局最後のほうでは前半にいた人物のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
登場人物はほぼ男性で、しかも同性愛でいろいろと揉め事があり、誰が誰を誘惑したとか、ただならぬ関係にあるとか、嫉妬しただとか、やたらに複雑で面倒くさい。
(嫌気がさす登場人物表)
なにがどう難しかったのか。
それを説明する前に、この物語のあらすじを簡単に説明しよう。
14世紀イタリア、とある修道院で不可解な「死」が連続して起こる。その事件に偶然にも居合わせた、旅の僧侶ウィリアムとアドソ。謎めいた文書館の存在と宗教論争、異端審問、同性愛、さまざまな思惑のなかで二人は事件の真相に迫ろうとするが──。
かなり端折ったあらすじだが、おおよその筋はこれで把握できる。
作中では宗教論争や、歴史的な出来事(じっさいにあった出来事が並行して語られる)、聖書の解釈をめぐってたびたび言い争いが起きたり、講釈がはじまるのだが、予備知識としてキリスト教にまつわる歴史や聖書の内容を知っておかないと、すぐには理解できない。
また、こういったことは調べてもよくわからない。
調べた結果の内容を理解するためにさらに調べなければならず、結局は調べながらキリスト教の政治的な歴史や中世ヨーロッパにおける宗派の闘争とその内容を紐解いていかねばならず、物語は遅々として先に進まなくなるので、私は途中で調べるのを諦めた。
キリスト教の知識は物語の本質にも関わってくるが、私のようにまったく理解できていなくても、謎のトリックや犯行の思惑を理解することはできる。
しかし、たぶん、これだと『薔薇の名前』の魅力を半分も味わえていないのだろう。
作中でも細かに説明してくれるわけではなく、また、説明を理解するための知識が必要で、とてもアカデミズムに富んだ作品と言えるだろう。
なんていうか、大学教授が授業で垂れる蘊蓄(うんちく)を聞かされているようなかんじだ。
先生はそういうとき、楽しそうに語る。自分の好きなことを好きなだけ語っているときのオタクは楽しそうである。(じっさい、エーコは学者先生だった)
また、文学的意義について考えるとき、この作品の少し変わった(けれども伝統的な)構成の解釈についても、イタリア文学的知識が必要となるし、さまざまな文献のパロディーも含まれているので多岐にわたる知識がどうしても必要になる。
そのところは「解説」で軽く解説してくれて入るのだが、本来であれば『薔薇の名前』に関する文献を読むべきなのだろう。そこまで体力が無い。
とにかくこの作品は良い意味で衒学(げんがく)的で、読者をどんどん置いていく。
私の頭があまり良くないから置いていかれただけなのかもしれないが、『薔薇の名前』を初見で読みついて行ける知識を持つ人がどれくらいいるものか、わかったもんじゃない。
久しぶりに、本を読んで、悔しい思いをした。
もっと知識があれば、さらに深く読めただろう。
ただ、中世ヨーロッパの美術や生活や宗教の歴史について興味がもてたので、これからはそういう方向でいろいろ読んで、またリベンジしたい。