蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

日曜日はこうであってはならない

曜日は目が覚めた瞬間から全身を虚脱感が襲う。

 

── 休みが終わる。

 

休みの終了まで秒読みがはじまっている。

刻一刻と時間はなくなっていく。

ああ、どうしたらいいんだ、と嘆いている間にも時間は減っていくから、すぐさま起き上がって歯を磨き、紅茶を淹れた方がいいのだが、全身を襲う猛烈な虚脱感のせいで立ち上がれない。

虚脱感を脱するための行動が、虚脱感によって苛まれる逆説的な状況。

負のループ。どこにも救いはない。俎板の上の鯉。イエスは生まれたときから磔(はりつけ)られていたとでも言うのか。

たぶん、軽度の「うつ」状態なのだろう。

 

 

2時間くらいしてようやくベッドから脱出に成功し、紅茶を淹れた。

そのとき、ポットの取っ手が欠けて、指先を切った。血は出なかったけど ちくちく痺れ、今こうしてパソコンのキーボードで叩き書いているときも気になる。新品の紙で指先を切ったときと似ている。舐めるようにすらりと切れた。

思えば、このときから私の日曜日は損なわれ、令和2年9月27日の日曜日的光沢は永久に喪われたのだとおもう。

ポットが欠けたのはその兆しでしかなかったのだ。

 

 

昼過ぎに街へ出かけた。

私と恋人はできるだけはやく冬用の布団を揃えなければならなかった。

昨今、朝と夜は冷え込み、油断して夏用の布団とTシャツで眠っていたら、見事に腹を壊したのだ。

今週中に厚手の布団を買いそろえなければ再来週には手遅れになりかねない。

億劫だったが街へ出かけ、布団を購入し、恋人は新宿まで出て化粧品を物色しに行くというので、私は先に家へ帰り、夕飯の仕込みをした。

 

 

「油で揚げないからあげ」を作る。名前だけが形骸化した要するに大きめの焼き鳥である。

ビニール袋に余りもののモモ肉とショウガや醤油やニンニクを揉みこんで、片栗粉をまぶし、オーブンレンジに入れた。

レンジは便利な代物で、「油で揚げないからあげ」用の機能が備わっており、番号でコマンドを入力すると自動で「油で揚げないからあげ」用のモードに切り替わり、いい感じに焼き上げてくれる。

 

ところでうちではキッチンに独立調理台を採用していて、それにはいくつか引き出しがついており、そこにオーブンレンジと皿や調味料を収納する棚としての機能が備わっている。

電子レンジを使うときはその棚が引き出せるようになっていて、熱がこもるため、引き出して使うことになる。

これにより、事件が起きた。

「油で揚げないからあげ」が焼き上がり、レンジから取り出した。

とりあえず肉を調理台の上に置き、調理台の引き出しから皿を出そうと棚を引き出したのだが、これがまずかった。

調理台自体がぐらりと傾いたのだ。電子レンジの引き出しと皿の引き出しを同時に引き出したことで重さが偏り、バランスを崩したのである。

咄嗟に押さえたものの、調理台の上に乗せていた からあげは大きな音を立てて転がり落ち、ついでに一緒に乗せていた麦茶が からあげに降り注ぎ、またついでに乗せていたタッパーの筑前煮がひっくり返った。

 

こんなことがあってはならない。日曜日の夜だぞ。

 

大惨事、と言っていいだろう。

大きな音を聞きつけた恋人が、腰を抜かしている私を起こし、傾いた調理台を戻した。

幸いにして怪我はなかった。

また、コップも割れなかったし、タッパーの筑前煮は蓋をしっかり閉めていたのでこぼれておらず無事だった。

ただ、からあげは麦茶びたしになり、しかも床を転がっていた。無惨だった。

笑えた。キキキヒッヒッヒッヒーと声に出して笑ってみた。

『JOKER』かよ。

なにもおかしくないのにすべてが間違っていて笑うことしかできない状況というものがこの世にはある。それは強い絶望と暗黒に心が蝕まれたときだ。笑えて笑えてとまらなくなるのだ。だけどそれは日曜日の夜にあってはならない。

 

 

からあげは捨て、冷凍していた塩鮭を焼いて食べた。

それがすごく塩辛くて、しかも生臭くて、半分も食べられなかった。ひどい代物だ。閉店間際のスーパーで半額以下の値段で買うべきではないのだ。

私の日曜はせめて塩鮭には救われたかった。

夕食中、私は笑顔を絶やさなかった。やたらに笑い、ジョークを言い、塩鮭の悪口を言っては白飯をヤケなったようにかっこんで、また笑った。

恋人は神妙な顔をして、どこか遠くにいるみたいだった。

 

日曜日の夜がこうであってはならない。