蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

原始のガム

社にガムがあった。

どっかの取引先がくれたガムである。

キシリトール」と大きく書かれた簡素なガムで、シンプルなデザインゆえに机の上にぽつんと置くとかえって目立った。悪い意味で。逆に商品棚では探すのに苦労するのだろう。もちろん悪い意味で。

 

ガムは好きなので、ありがたく頂戴した。

 

 

仕事中はガムを噛んでいる。

噛むとなんていうか苦痛が紛れる気がする。イライラした気持ちや焦りを和らげる効果がある。

前までは煙草をやっていて、テレワークになってから自宅なのをいいことに自席でふかしていたのだが、いいかげん経済に悪いし部屋も臭くなるのでガムに移行した。

煙草ではなくともそれなりに満足している。

結局口さみしかっただけなのだ、本質的に。

 

   ↓

 

職場にあった「キシリトール」のガム。

簡素なデザインで、なんていうかお役所仕事のデザインみたいだ。

必要な情報だけを記載し、万人がどう見ても「これはガムだ」とわかるようにデザインされている。このガムを見て電球と勘違いする人はいないだろう。モアイ像と錯覚する人もいまい。

だが、それゆえに、デザインに遊びの余地は一切なく、ユーモアに欠けていると言えばその通りだった。

「これは遊びじゃないのです。仕事なのです」と言いたげなパッケージだった。

 

するりと包装の紐を解くと、出てきたガムは直方体で、キャラメルくらいの大きさだった。

長方形の板状を想像していたので、直方体とは意外である。

さらに意外なことは、その味わいであった。

ほとんど味がしないのだ。

かすかにミントの味?風味?がする。霧のかかった川の対岸に誰かがいて、なにか言っているような、手を振っているような誰なのか何なのか判別しがたい、そんなぼやけきったミント味である。あるいは歯を磨いて3分くらい経った後の口の中の味。もしくはミントの「印象」の抽出。

 

味がしないので、昨今のウィルスのせいで味覚がなくなったのではと怖くなり、先輩にガムを食べさせてみた。

「うわ、ほとんど味がしないなぁ」先輩はそう言って笑った。よかった、私がおかしくなったわけじゃないんだ。

念のためほかの先輩にも食べさせたら、「これ10秒くらいで味がなくなるガムじゃん。おれが子どもの頃からある、すごく古いやつだよ」と言い、懐かしがってくちゅくちゅ噛んでいた。そんな昔からこのガムは味がないのだ。

それにしても先輩をガムの味見に使うなんて、私はいつからこんな後輩になったのだろう。

 

   ↓

 

2分ほど噛んでいるうちに風味すらなくなり、完璧なゴムの塊になる。

風船を噛んでいるようだ。ゴムの風味すらもないので、ほんとうにただやたらに軟らかいキャラメルほどの大きさの物体が口にある状態になる。

キャラメルほどの大きさのわけのわからない軟らかい物体が口の中にあるということ。それは異物感に他ならない。

口の中で膨らんでいくような圧迫感があり、息が詰まるほどの不安を覚える。ひたすらに不愉快で、体の後ろ側がざわざわ寒気だつ。

味のしないものを口に含むとはこんなにも苦痛なものなのか。

ぞっとして、すぐに吐き出した。

こんなものは口に入れておくべきじゃない。なにが「キシリトール」だ。歯にはいいってか。これを噛むくらいなら歯を磨いたほうがずっとマシだ。

味覚障害の人がどうして物を食べられないのかわかった気がする。味が無く、温度に反応して、食感のざらつきやぬめりを敏感な舌先が感じるのは、さぞ不快だろう。

 

先輩が言っていたように、このガムは古くからあり、パッケージデザインも昭和ってかんじだし、味わいも原始のレベルである。最初に開発されたガム、と言われても信じるだろう。

はだしのゲン』でゲンたちが物乞いをして米兵からガムを貰っていたけど、このガムはそれと近しいレベルなのだろうか。

わからないけど、戦後はなんでもかんでも不足していたのだ。こんなガムだって美味しかったのだろう。ごちそうだったのだろう。娯楽だったのだろう。

 

 

残りのガムは先輩方におすそわけし、私はコンビニで令和のガムを購入した。