実家の近所の動物病院がなくなったらしい。
それを聞いて、なんか、ぽっかりと空洞ができたような気持になった。
その動物病院は、ペットショップに併設されていて、犬のトリミングもやっていた、小さいけど健やかな病院だった。
女の先生一人が犬と猫を診ていて、痴呆気味だけど心優しく明るいおばさんの店主と、販売を手掛けるその息子さんと、トリマーさんのわずか5人くらいで店を切り盛りしていた。
その先生が9月末でお辞めになり、ペットショップも規模を縮小してトリミングも終了し、いまはペットフードだけ扱っているらしい。
小さくて、古くて、「自動」と書かれたドアは完璧に手動だったけど、思い出深い場所だったので、もうやっていないということは寂しくてならない。
先生には、うちの犬どもが10年以上にわたってお世話になっていたし、猫たちも面倒を診てもらっていたのだ。
犬たちが死んでから、もちろん動物病院に用はなかったので行くことはなかったのだが、しばらく経ってから猫を飼い始めたと報告しに行ったとき、先生は家族のように喜んでくれた。
「わんちゃんたちが亡くなって、とっても落ち込んでいそうだったものだから、心配していたの。でも、そうね、亡くなった動物の穴を、猫ちゃんたちがきっと慰めてくれるわ。よかった」
そう言ってくれた。
ビジネスライクな言葉だったのかもしれないけど、きっと先生はそんな人ではなかったし、10年以上お世話になり、親密だったから、心からの言葉であったはずだ。
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人には人の事情がある。
先生は20年以上もたった一人で街の犬猫たちの面倒を診てきたのだから、これから充分に休む必要がある。
いろいろな事情があり、人は変わり、言葉が変り、街は変わる。
きっと、ペットフードだけの販売では、あの店はもうやっていけないだろう。
あの場所を失うことで、私の心の中にしまってある、犬たちとの思い出の場所が、またひとつ失われてしまう。
そうか、だからこんなにも寂しくて悲しいのだ。
あの場所は、かけがえのない場所のひとつだったのだ、と、愚かだから失ってから気付く。
動物病院に犬を連れていくとき、ガタガタ震えて道路に立ち往生していたことを思い出す。
診察台に乗せてやると、一頭は気丈にも弁慶のように足を踏ん張って診察に耐え、もう一頭は触れるだけでキャンキャン泣いていたことを思い出す。
私は先生から、老犬の点滴の方法と抉れた患部の包帯の替え方や爪の切り方を教わったのだ。
そうして、あの犬たちを、看取ったのだ。
先生や店主や、お世話になった皆さんが元気に健やかであればいいとおもう。
街が変っていく。
なにかを失いながら、なにかを作り出していく。