「服買ってよ」
恋人に3ヶ月くらい言われ続けてきた。
「まぁまぁ」
私はそう言って金を遣うのをためらってきた。服を買うために遣う金なんてなかった。本を買う金はいくらでもあるのだが。
これが、恋人のために服を買うなら私はためらわないのだが、自分のための服となると腰が重くて、なにかと理由をつけては服を買いに行くのを引き延ばしにして季節が過ぎるのを冬眠中の蛇のようにジッと待っていたのであった。まだ秋だけど。
引っ越しの際にもう着ないだろうという服を処分した。
ボロ布のようになったTシャツ、若すぎて着れないデザインのシャツ、白くなった黒いズボン、見れば見るほど惨めな気持ちになってくるジャケットなどである。
その結果、引っ越しは荷物が少なくて済んだが、それと引き換えに着る服がなくなってしまった。
ほとんどが部屋着としてギリギリ使用できるレベルのもので、とても外に着て行ける水準に達していなかった。それらの服を捨てなかったのは「人権を守れるくらいの服としての機能を備えている」という検査水準を合格したからにすぎず、ファッションとしての機能は地に堕ちていた。
襟はよれ、ところどころに穴が開き、繊維は透け、Tシャツのほとんどは屋敷しもべが着る布と変わりないボロボロさで、いっぱしの社会人がこれを着て外をうろうろしてはならないことは日の目を見るよりも明らかであった。
だが、それでも私は「問題ない」と判断した。
なぜなら、恋人と同棲している今、コロナ禍の影響もあって外出もしないし、出かけるとしてもコンビニやスーパーくらい、遊びに行くとしても週に一回がせいぜいのところなので、服はひと揃えあればいいのである。
というわけで、夏の間は、「(あなたが自分で着る)服を買って」と言われても「まぁまぁw」で誤魔化しきった。
Tシャツは全滅でも、秋になれば着る服はたくさんあるのだ。
夏を乗り切ればなんとかなる。そう思っていた。
だが、秋になって、私はいかに自分が愚か者であったか知ることになる。
秋服こそ、なにもなかったのだ。
長Tシャツは半分ゴミ袋に入れられた状態であり、かっちりした一張羅こそあるものの、それしかなく、鞄も靴もジャケットも組み合わせがチグハグで、一斉に着てみると無課金プレイヤーがとりあえず落ちてたアイテムをすべて装備したようなアンバランスさで、そこにはファッションのファの音も無く、これを着ているくらいなら何も着ない方がマシだとおもえるのだった。
一度すべての服を検分したところ、冬服もなかった。セーター2着しかなかった。こんなことがあっていいのだろうか(反語)。社会人だぞ私は。日本国憲法に守られているのだぞ。
しかし、この期に及んでまだ腰の重い私は、なにかと理由をつけては買い物に行かなかった。あるときは冷たい雨が降っていたし、あるときは恋人に予定があったし、あるときは腹痛があった。またあるときは嫌な風が吹いていた。
だが、ついに昨日、有給休暇をとった私と恋人は、服を買いに行ったのだった。
昨日は雨が降っていたし、恋人は腹痛を抱えていたが、買いに行ったのであった。
「しびれを切らして」行った、そういう状況であった。
あるいはようやく私に服を買う覚悟ができた、それだけのことだ。
服の全体量から考えると、これからも出先で服を買った方がいいくらい服がないのだが、これをきっかけに、服を買うハードルが低くなればいいとおもう。まだ服を買うときのハードルの高さは夏目漱石全集を買うのと同じくらいのハードルがある。文庫本を買うくらいのノリで買えるようになればいいな。