まじでどうしょうもなくて、どうだってよくて、気にすることなんかなにひとつない、考えるだけ無駄だし寝ていた方が生産的。
そんなものはたくさんあるけれど、なかでも「他人と比べること」ほど無駄でしょうもないものもない。
他人と自分の能力差を比べて良いことなんてなにひとつない。
自分よりも優れている人と比べたら「自分はなんてダメなんだ」と卑屈になってしまうし、自分より劣っている者と比べたときは、下がいることや自分が優位に立っていることに安心感を覚えるけれど、そんなことで安心感を覚えてしまう自分の安っぽさにがっかりして結局肩を落とすことになる。
高校生の頃、テストの順位が廊下に張り出されたり、自分の順位がわかってしまったり、とにかく他人と比べられるのが嫌で仕方がなかった。
廊下に張り出されて恥ずかしいから良い点を取る努力をするとか、他人と比べた自分の順位を上げたいから勉強をする、という方向性は間違っている。
手段と目的が入れ替わっている。
本来は学力や教養を身につけたり、志望校に受かるために勉強をするのだ。
結局学校のそういった方針は私には合わなくて、成績は下る一方、ドベと揶揄されてもなにもおもわなくなって堕ちるところまで堕ちた。
トイレットペーパーを3階から投げて遊ぶ、学校の廃材置き場の蛍光灯を割りまくる、教室の加湿器にカフェオレをそそぐなどして身を持ち崩した私は、浪人した。
浪人してから他人と比べることを止めた。
他人と比べることを止め、一か月前の自分の成績と比べるようになって、分析し、克服し、見つめ直すようになってから、模試の成績は上がっていった。
他人と比べるのではなく、自分自身を比べて、向き合うことが大事なのだ。
楽器の練習にしても、画の練習にしても、詩歌の練習にしても、勉強でもスポーツでも料理でもなんでもそうだけど、他人と優劣を比べてしまうことで劣等感に陥ったり安い優越感に浸るよりか、昨日の自分と比べてちょっとでも成長したかどうかのほうが前向きで豊かな気持ちになれる。
優れた人がいるならば、その人の技を見極めて自分のものとしようとする方が建設的だ。
人生はトーナメントでも選手権でもないのだ。
ほんとうの豊かさや充実は他人と比べて感じられるものではない。
劣等感を抱いたり、安い優越感に浸って自分自身に落胆するよりか、昨日の自分と比べて少しでも進歩したかどうか自分自身を見つめて反省し、あるいは自信を持った方が、人生はより豊かで充実感を伴うものになる。
ときどき自分のためにこうして文章を書くことがある。
いや、そういえば他人のために書いた覚えは一度もないな。