モンブランは秋の季語である。
モンブランは栗からできている。その栗には旬がある。
ということは栗から作られるモンブランにも「旬」は発生する。
栗の旬は秋である。秋と言えば栗。栗と言えば秋。
となるとモンブランの旬はいつ頃になるかというと、ちょうど今くらいの、秋の深まった11月ということになる。
モンブランは晩秋の季語である。
いやまさかモンブランに旬などないでしょう、とおっしゃるあなた。年中食べれるでしょうがモンブランは。一年中同じ味でしょうが。加工品でしょうが。あなたはそうおっしゃる。
よござんす。こちらにいらっしゃい。
と言って裏路地に誘い、鳩尾(みぞおち)に強(したた)かな掌底をくらわせて差し上げましょう。
あります。モンブランにも旬が。
それを教えてくれるのが、東京は銀座にて店を構える「銀座 みゆき館」さんのモンブランなのです。
テーブルにこのモンブランが鎮座したとき、あまりにも立派だったのでちょっとした頭脳に見えて「思考してるのか?」とおもってしまった。
モンブランなんてものは大抵がもったりと甘くって、美味しいけどちょっとしつこく、半分過ぎた頃には「もういいな」という気分になって、渋い茶をとっととしばいて帰りたくなるものだが、みゆき館さんのモンブランは違う。
包装を解くとまろやかで芳ばしい香りが花開くように広がる。
愛しく丸いフォルムを撫でたくなるのをこらえ(素手で触ると汚いので)、フォークをソッと入れると、クリームの無抵抗の感触の中にごつりとした異物感を覚える。中はうねるようにごつごつしているんだね……いったいなんだろう。
栗だ。
刻んだ栗が入っているのだ。
土台の白いメレンゲがさっくり割れ、モンブランのひときれが細いフォークにあられもなく横たわると、色層がここでわかる。
黄色い栗のクリーム。白い生クリームにごつごつと栗の茶色。純白のメレンゲ。
秋の妖精かよ。
横たわるそのひときれを見つめているとなんだかものすごくいけないことをしている気分になり、「人目につくまえに食べてやらねば」と使命感に駆られて早速ひと口。
うまい。
土台のメレンゲ以外はそう甘くなく、栗本来の香りを殺さないように注意深く整えられた最小限にして最大限の甘みである。
だからこそ栗の香りと味わいを楽しめる。
洋菓子というより和菓子のような陰影に富んだ奥行きを感じさせる。渋い緑茶でヤりたい。
あっさりしていながらも食べ応えのある甘さを残して、しつこくない。
モンブランのしつこい甘さが苦手という方も、ここのモンブランなら「こんなに美味しかったのか」と驚きつつ楽しめるはずだ。
モンブランの主役はなにかというと栗であり、その栗への感謝と崇拝の念すら感じさせる一品だ。
新鮮な栗というものがどんなものかはわからなくても、ここの秋のモンブランには新鮮な栗の味とはこういうことです、と納得させる説得力がある。
その新鮮な栗のモンブランを舌の上でねっとりと味わいながら、ああ、おれは秋を食べている、とおもったとき、モンブランはたしかに秋の季語だと確信した。
秋のうちにモンブランを楽しもう。