百均でおろし金を買った。
干物を焼くにあたって、やはり大根おろしがあったほうがオツというか、趣というか、要するに情緒ですよね、大根おろしはあった方がいい、と恋人と決議し、近所の百円ショップでおろし金を買った。
特筆すべきところのない、絵に描いたように標準的なおろし金だ。
銀色の金属でできていて、取っ手があり、表面は無数の穴が開いていて、片面には拷問器具的突起が林立している。
ここで大根やショウガを擂りおろすと、無数の穴から しぐれ状となった大根が分泌物よろしくにゅるにゅる出てくる、そういう仕組みだ。こんなこと説明しなくてもわかるだろう。本当に特筆すべきところがないのだ。
日曜の昼に、干物を焼いた。
昼間から米を炊き、味噌汁を作り、干物を焼き、そして大根をおろした。豊かな生活。そんな暖かい小春の日和が部屋に差していた。
買ってきたおろし金に大根をあてがい、おろしてみる。
これが、ぜんぜんおろせない。
その拷問器具的突起は何のためにあるのだ。
大根はずたずたになっていき、無数の穴から青白い汁が滴るばかり。大根のしぐれはまったく生成されず、ごつごつした塊がそこらに転がり落ちる。まったくおろせていない。
私のやり方が悪いのだろうか、試行錯誤して、無数の穴からしぐれを出そうとすることを諦めた。
すると大根は順調に擂りおろされていった。これではこのおろし金の機能を十全に使えていないが、本来の目的は大根をおろすことであって、おろし金を有効活用することではない。これでいいのだ。
アライグマが芋を洗うようにおろし金と大根を擦り合わせて摺りおろすので、手首が異様に疲れる。腕の筋肉が震えてくる。私の知っている大根おろしはこんな重労働ではなかったはずだ。
いささかの疑問を胸にしつつも摺り終えると、そこにできていたのは、ぼそぼそとした水分の気のない大根おろしであった。
ふと口に含んでみると、まずい。
第一印象は、ホコリを食べてる感じだ。
ビルの日陰にずっと残っている一週間前の雪。排気ガスと土埃にまみれてアスファルトにこびりついている冬の汚物。古い図書館の蔵書に積もってるホコリ。蜘蛛の巣が顔にかかる感じ。水びたしのティッシュ。
このおろし金は二度と使わない。恋人とそう決議した。
しかし100円とは言え、使わないのは勿体ない気もする。
なにかに使えないか話し合い、私はこれを羽子板の代わりにすると提案した。あるいはかかとが硬くなったらこれで削るのだ。
恋人は、喧嘩した日に私が風呂に入っている間にバスマットにおろし金を仕込んでおく、と物騒なことを言う。
拷問器具的発想だ。