蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ポケモンを知らない男がアニメを第一話から観はじめた

連休。

第三波。

「我慢の三連休」とか「5つの小」なんて言葉ばかりが先行するこの嫌な時代。

私と恋人はどこに行くともなくほとんどの時間を家で過ごし、日なたを見つめたり、本を読んだり、12時間寝たり、風の音が何に聞こえたか答えあい、雲が何に見えるか想像し合うなどして、まるで余生みたいにして過ごした。

もうだめだ、とおもった。

外は「さぁ出掛けよう」と言わんばかりに晴れ渡っている。どこからかいいにおいがしたり、音もなく飛行機が遠くの空を飛んでいた。

長い目で見れば私たちは既に死んでいた。

 

Amazonプライムで『ポケットモンスター』が第一話から配信されている。

自慢ではないのだが、私はポケモンのど真ん中の世代のくせに、ポケモンのことをあまりよく知らない。

幼いころ、親がゲームを買ってくれなかったし、ポケモンのアニメはゲームをやっていない私からすれば意味不明で、しかも途中から見るしかなかったので面白みに欠け、ぜんぜん観ていなかった。

ピカチュー、ニャースミュウツーソーナンスギャラドス、くらいの名前は知っているけど、詳細まではよく知らなかった。

ギャラドスについては知っているとは言えないだろう。

「月末に京都の女将が封筒を渡してくれるんだよ。『今月のギャラどす』って言ってね」というダジャレを昔作ったことがあったから名前だけ認識していたのだが、もはやダジャレの中だけの存在であり、どういったかたちのポケモンなのかまったく知る由もなかった。

ダジャレが先行しているので、花魁みたいな頭をしていると勘違いしていた。

 

おかげさまで、同世代の共通言語と化しているポケモンの話題になるとめっぽう弱く、会話の隅で「えへ、えへ」と鳴き声みたいに笑っているしかなかった。

 

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そんな私は三連休、ポケモン好きの恋人の薦めもあり、アニメを第一話から観ることにした。

あまりに暇だったし、冒険心はくすぶり続けていた。アドベンチャーを欲していたのかもしれない。

 

 

観てみるとポケモンはみな可愛く健気で、ところどころ人間らしくもあり、物語にはさまざまな工夫があって、飽きさせない。

キャタピーはかなり可愛い。フシギダネも兄貴気質で頼りになる。ピカチューも表情豊かだ。ただの電気ネズミではなかったのだ。

サトシは愚かだけど、ちゃんと後で誤りを認めて謝罪ができたり、頑張ることができる立派な男の子である。ロケット団が憎めない悪役でなんだか愛おしい。なんだかんだときかれたら。

 

全体的に不快な要素は少なく、ストレスなく見られるし、自然とリラックスできる。

心がざわつかず、かと言って退屈過ぎない、ちょうどいい刺激を得られる。

ジェットコースターでたとえると「ビッグサンダーマウンテン」くらいのスリリングで、お寿司で言うと「たまご」くらいの味わいで、飲み物だと「カルピスソーダ」くらいの刺激だ。このよくわからない喩えほどのスリリングさは、無い。

なんだか落ち着いていられる。

 

だけど所詮は児童向けアニメ、一日に観れても5話くらいが限界で、しばらく時間をかけて観ていくことになりそうだ。

 

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三連休が終わり、仕事が始まった。

仕事中、むしょうにポケモンを観たくてたまらなくなった。

連休明けとは思えない混乱をきたした現場で、私の頭の中はタスクに埋もれながら、ポケモンを思い出していた。

さまざまな業務トラブルが立て続けに発生し冷や汗をかきながらも、心のなかの空の上のほうで、「ダネダネ」とフシギダネが鳴き、ヒトデマンが「ヘアッ」と勇気づけてくれる。

 

帰宅して、続きの2話分を観た。

貪るように、食い入るように、観た。

なにかわからないけど、すごくリラックスして、何も考えられなくなってしまった。

急に、心が、壊れてしまったのかも、しれなかった。

ちょうど良い刺激、安定と安心の保証された物語、優しい世界、それこそを私は求めた。

 

一日2話ずつ、大切に観ていこうとおもう。

平日の「麻酔」になる癒しだ。

 

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今日の話の中ではじめてギャラドスが出てきた。

その頭のかたちは少し、花魁に似ていた。