「苦しくないですか?」と訊かれてあやうく「すべてが苦しく、この世に救いは無いみたいです」と答えてしまうところだった。
私は散髪用のケープを首に巻かれていた。
「苦しくないですか?」の問いはこの首に巻かれたケープについて言っているのだった。生そのものについての概念的な辛苦について問われているのかとおもった。
「苦しくないです」私はそう答えた。
よかった、「すべてが苦しく、この世に救いは無いらしい。幸せな瞬間はあってもいつもそれと気づくのは失った後のことで、現在そのものを大切にできない私は愚者に他ならないんです。すみません、殺してください」と言わなくてよかった。
理髪店は特殊な環境なので、特殊なことを考えてしまう。
仰々しい椅子に座らされて、自動でリクライニングするのに身体を任せるのがなんだか恥ずかしい。なにをやっているんだ、って客観視するとおかしくて恥ずかしくなる。
あまりにも無抵抗な自分が機械のなすままにされていて恥ずかしい。どんな人であってもあの椅子に座れば自動でリクライニングされてしまうのだ。内閣総理大臣も、プロレスラーも、スナイパーも、少納言も。
人は洗髪用チェアの前では無防備・無抵抗だ。
その隙だらけの姿を人に見られたくない。
私が殺し屋だったら、とおもう。
私が殺し屋だったら理髪店に忍び込んでターゲットになんらかの発信機をつけたり、罠にかけるかもしれない。
洗髪中は無防備そのものだ。顔に白い紙布をかけられて視界も塞がれる。殺し屋としてこれほどチャンスもないだろう。
洗髪中、手のやりどころに困る。
身体の側面に手を置いてもなんだか変な格好だろうし、胸の前で組んでも顔に布を被せられているから死人みたいになっちゃうし、挙手してもおかしい。
あの椅子に寝て顔に布を被された場合の正しい腕の置きどころとはどこなのか。
「顔に布」の時点で正しいのは、やっぱり胸の前で手を組むことかもしれない。
なんだかんだいちばんバランスがとれている気はする。
だから洗髪中は手を組んで、無表情を意識し、「死体ごっこ」に興じている。
洗髪中に急死したら、髪を洗ってくれてるお姉さんは知らないうちに死体の髪を洗っていることになるし、死んでからかける布を探す手間が省けておもしろいかもしれない。
死体もやはり無抵抗だから、洗髪が終わったら件の椅子で起こされるのだ。死体が起き上がれる方法のひとつだ。
ウィ~~~~~~~~ンと起こされる死体。意味がわからない。SFみたいだ。
そうなると面白いので、洗髪中に死ぬのはありかもしれない。
ケープを首に巻かれたときに「苦しい」と言っておくと伏線になっていいだろう。