一昨年亡くなった2頭の犬たちをまだ墓に入れていない。
庭に骨を埋めてもいいのだが、いつか引っ越すかもしれないし、水難地域でもあるので流されてしまう可能性を考慮すると、そういうわけにもいかない。
実家の庭には以前買っていた金魚やメダカたちが埋められている。
また、犬が産んだものの産後すぐに息絶えてしまった子犬たちも埋められている。
火葬されずに、土葬されたものだ。野良猫やカラスどもに掘り起こされないように焼酎をかけ、ローズマリーやミントなどハーブをまぶして埋めた。燃えた灰を上に置けば蒸し焼きにできていたかもしれないが、あいにく犬を食べる文化は無い。土葬した。
掘り起こされた形跡はなく、いまはカレーの木やフェイジョアの木や水仙が植えられ、おそらくそれらの根の元で安らかに眠っているだろう。養分になっているのか、毎年きれいな花が咲く。
ときどき、あの子犬たちや金魚たちは、骨になっているだろうかと考える。
子犬たちのもとに親犬を埋めてあげるのもいいかもしれないけど、16年も連れ添った犬を、墓標もなしに庭に埋めるのは遺族として気が引けるものだ。
実家の近所に動物霊園があると知った。
海辺の街だし、歩いて行けるので、そこがいいんじゃないかということで話がまとまりつつあった。海の見える墓はデートスポットになるくらい素敵だろう。
骨をずっとリビングに祀っているわけにもいかなくなってきた。なにせ2年前のことなのだ。いまは猫たちもいるし、そろそろ別れの時が来たのだ。
近所だからすぐにお参りに行けるし、いい感じの霊園なら私が帰省した際にピクニック気分で出掛けられるだろう。
私と母は下見に行くことにした。
徒歩30分ほどで意外と遠かった。
奥まった寺院の山のふもとの手前の小高い丘に動物霊園はあった。
動物の共同墓地ということで、それぞれに墓標が立っているわけではなく、大きなひとつの墓標に愛されたペットたちが祀られている。
ひじょうに急な坂の上、崖下の日陰に祠はあった。
よく手入れされていて綺麗だったが、じめっと湿っていて寒く、崖にこびりついた苔が、万年そこが日陰であることを物語っていた。花や折鶴がそこかしこにお供えされ、先ほど誰かがお参りしたのだろう、線香の灰が濡れた地面に落ち、なんとなく陰気なにおいがした。海は崖の向こうにあって、波の音も聞こえなかった。
私と母は踵を返し、別の墓地を探すことにした。
「日陰は嫌よねぇ」と母は言った。
「多少遠くても、日当たりが良くて、車で行ける所の方がいいかもしれない。駐車場があって、ちょっとしたベンチがあったり、広いところ」
「できれば海が見えて」
「うん」
「安くて」
「穏やかで」
「安らかなところ」
「うん」
いつになったら墓に入れられるかわからないけど、べつに急いでなんかいないのだ。のんびり探せばいい。なんならずっと家にいたっていい。