蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

於・丸亀製麺

の会社の入ってるビルテナントに、丸亀製麺が入っている。

丸亀製麺とはなにかというと、饂飩屋である。

饂飩とはすなわち うどんのことであり、大雑把に言えば、小麦粉をこねて細長く伸ばしたものである。

それをすするのである。

すするとどうなるか。

美味しいのである。

 

さいきんの出社のモチベーションは丸亀製麺だ。

ほとんど、丸亀製麺のために出社してると言っていいだろう。丸亀製麺が潰れたら会社を辞めるつもりだ。辞職を厭わない。

 

美味しいので、平日の昼でも多少はマシな気分になれる。

しかしこのご時世、そこそこ混雑する店内で、共用のトングを使ってネギを載せたり、てんぷらを皿に盛るのはちょっと憚られるというか、なんだかなぁという気がしないでもない。

無論、消毒液やアクリル板が設置され対策は講じられているのだが、対策を講じているだけであって、実際問題、私の精神が救済されているかと言えば、救済されていない。

私の魂は、饂飩を食べることによってしか、救済されない。

 

丸亀製麺では「うどん札」というものを貰える。

一定の枚数を集めるとトッピングと交換してくれたり、10枚集めると饂飩一杯と交換してくれるという、ご利益のある札だ。

これを私は集められない。

管理がずさんでレシートやらといっしょに捨ててしまうこともあるし、トレイに放置したまま返却してしまうこともある。

また、なんか集めるという行為そのものに気が乗らなくて、意図して捨てることもある。これを10枚以上集めて饂飩一杯と交換しなければならない。その義務感と徒労性に疲れる。

10枚も集められるだろうか?いや、きっと集まらないに違いない。最初から自分に期待していないので、捨ててしまう。

その気になれば10枚集めることなんて容易いはずなのに、やらない。

たとえ10枚集めたとして、どうやって交換すればいいのかわからない。会計時に提出すればいいのだが、私は一体どういう顔で、どういう態度で、レジのおばさんに札10枚を提示すればいいのだろうか。

「毎日来てますよ」って顔をしたくない。

「毎日来てあげてますよ」って態度も違う。

それらを考えると、無理して集めなくてもいいか、という気になる。

饂飩一杯のために精神を削って札を集めるというのは、いくらご利益のある札と言えども私の矜持に反する。

自意識過剰すぎる。伸びた饂飩みたいに興のない人だ。

 

明日も製麺所へ饂飩をすすりに行こうと思う。

ほとんど毎日行ってるから、うどん札提出うんぬん以前に顔を覚えられているだろうし、これだけ来てるのにうどん札を出さない男として認知されている可能性もあって、となると私はおそらく痴れ者扱いをされている可能性があり、こうなるともうあの製麺へは行きづらくなってきた。

よしとこうか。

 

 

ずぞぞぞぞおぞぞぞおぞぞおぞぞぞぞおおおおおおおおおおお