私の正月休みは職場の方々より一日少なかった。
1月4日、現場の仕事は休みだったが、システムの稼働があったために、万が一何か起こってはマズいということで電話番として一人仕事に出たのである。
幸い何事もなく、ただただ流れる雲のようにぼんやりと過ごしただけで終わった。
その一日分の代休を昨日月曜にとって、三連休とした。
飛び地にできた正月休みみたいなものだ。
私の好きな三文字熟語。
三連休。
なんて素敵な響きだろう。
休みとはいえ私は快活そのもので、ふだん仕事に行く時と同じ時間に起床し、可燃ごみをまとめ、茶を淹れ、「めざましテレビ」を心ゆくまで堪能した。
「めざましテレビ」を心ゆくまで堪能することができるとは、なんて余裕のある心だろう。
普段出勤日だったら、少しでも気に入らないことがあると「腐った馬の胃袋」とか「盧溝橋事件」などと罵声を浴びせてテレビを消し、お茶をがぶ飲みして突然わーっと泣いたり仰天して柏手を打ったり、はたまた何も入っていない冷蔵庫を開けたり閉めたりして情緒の不安定に陥っているのだが、昨日だけは、アナウンサーとゲストの微笑ましい馴れ合いも優しい気持ちで観れるし、アナウンサーのいったいどこが面白いのか説明してほしいようなジョーク(?)にもちょっと笑えたりして、これが平日の休みかとその威力を思い知るのだった。
私以外のみんなが労に勤しんでいて、私だけが休日を謳歌している。これがたまらない。
状況を不幸と思うかどうかは自分次第だ。
普段の平日だって、不幸だと思っているのは自分自身であって、状況は単なる時間の流れの中の一部でしかないのだから、心の持ちようによっては普段からこうやって穏やかな気持ちで情緒不安定にならずに過ごせるのではないか、と反省した。
平日休みになると朝っぱらから広い心を持って自分の過ちを反省することだってできるのだ。
過ちて改めざる是を過ちと謂う。ああ、その通りだ。
オムレツを焼き、パンを焼き、ブログ(昨日の長い記事)を書いたら午前が終わったので、近所の食堂で定食を食べ、八百屋で きのこなどを購入した後はカフェでコーヒーをしばきながら読書をし、帰りにブックオフでCDと書籍を購入し、帰宅した。
買った本。
伊藤計劃の『ハーモニー』は持っていたのだけど、表紙のイラストが気に入らなかった。そこで表紙を捨ててしまった。たまたま以前の白地に文字だけのシンプルデザインのバージョンが古本に売っていたので購入した。
これよこれ。格好いいね。
『虐殺器官』もイラストやめてほしいな。
ラノベじゃあるまいし。せめてセンスのあるイラストにしてほしい。
「イラストにしましょう」って企画した人、たぶん馬鹿なのだろう。イラストにしたらより本が売れたのかもしれないけど、そのことを認めたくはない。
少なくともセンスは無い。
帰宅して残りの本を読み、ゲームをして、シチューを食べ、酒を飲んだ。
リラックスした理想的な休日を過ごすことができた。じつに気持ちの良い一日だった。こういう気持ちでいられるのも、平日にちゃんと働いているからなのだろうか。唯一その点においてのみ、働いていてよかった、と思えるのであった。
英気を養えたことだし、これで今週も頑張れそうだ。
実際頑張るかどうかは別として。