蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

マリオ64を120枚クリアしたけどマリオのアンチになった

年暮れにSwitchの「マリオ3Dコレクション」を購入し、プレイをすすめていた「マリオ64」を昨日ついにクリアした。

 

ステージに散らばる120枚のスターを集め、クッパを倒し、ピーチ姫を奪還し、城に平和が戻った。

 

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最後クッパを倒すときは、

「これで倒したらゲームが終わってしまう」という寂しさと、

「これで倒したらゲームを終えられる」という二つの相反する感情が、しかしながら矛盾することなく両立していた。

 

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ほんとうに大変だった。

120枚を集めることがひとつの憧れでもあった。

幼いころプレイしたときは80枚ほどで辞めてしまったのだ。今回のプレイは、いわばリベンジの要素があった。

当時、子どもがやるには難しかったし、あの頃は「インターネットで攻略サイトを見る」のが今ほど簡単なことではなく、親の許可を得てから動作の遅いコンピューターを立ち上げて、WindowsXPのあの緑の草原のデスクトップからIEを起動し、読み込みの砂時計を眺める時間の方が長く、だいたい調べたところであまり情報も出てこなかった。ほとんどがテキストサイトだったから視覚的なことを文字で説明されても理解できなかった。

 

そういうわけで挫折したゲームを、大人になって四苦八苦しつつも、なんとかクリアすることができたのだ。リベンジを果たした。

ああ、大人になった。

そういう気がした。

 

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エンディングのスタッフロールでこれまでのステージが流れるのだが、出てくる感想がほとんど悪口だった。

 

「このステージの火の玉だけは絶対に許さない」

「二度とやりたくない」

「制作者の意地の悪さが垣間見えた」

「苦労に苦労を重ねたステージだ」

「クソ」

「二度とやりたくない」

 

何度も何度もマリオが死に、何度も何度もゲームオーバーになった。

ステージの敵よりも、「カメラ操作」とマリオの動作性の方が厄介で、ステージ自体もマリオへの殺意が凄まじく、本当の敵は味方の内にいるとしか思えなかった。

失敗が続くとマリオのアンチになっていく。

あのヒゲは、自らの失敗であるにもかかわらずさも他人事のように「アワワワワ」と嘆いたり「マンマミーア」とろくでもないことをぼやいたりする。

後ろ宙返りをして誤って落水したり、段差から落ちてやり直しになることが多々あって、その際着地した瞬間に「ハッハー」と得意そうに両手を広げるのだが、その様子、ヒゲはなにかひどく勘違いしていて、お前は失敗したのに何を得意になっているのだ馬鹿者が、と罵声を浴びせることしばしばであった。

おれはヒゲの無事を願ってプレイしてるんじゃない。コースのクリアを目的としてプレイしているんだ。それなのにヒゲは自分の安全こそプレイヤーが最も望んでいることなんだろうな、と勘違いをしている。おれとヒゲの間に、目的の齟齬が生じている。馬鹿が。

 

マリオは世界で最も人を怒らせたキャラクターかもしれない。

私はわりと温厚な性格で、怒ったり八つ当たりをしたりすることは基本無く、「怒ったこととかキレたことある?」とよく人に訊かれるくらいなのだが、マリオに対しては何度もキレ散らかし、コントローラーを破壊するのではないかと自分でも心配になるくらい感情をコントロールできず、危険なステージのクリア目前で失敗したときなんかは怒りを通り越して心が昏(くら)くなり、一時的に鬱状態になったりもした。

うつ病の人にこのゲームをやらせたら3日後に自ら命を絶つかもしれない。箱庭ゲームと呼ばれているマリオ64だけど、とても箱庭療法には向いていないだろう。

 

次第にマリオのアンチになり、もはやマリオが死ぬたびに楽しくなってきていた。

マリオを殺せて嬉しかった。

どんどん死んでください、と懇願する日もあった。

 

 

そんなんだけど、クリアするとやっぱり嬉しくも寂しくもあって、キレながらも最後までプレイさせてくれただけにゲームとしての完成度は高く、充分に楽しませてもらった。

攻略動画を参考に見ていると、同じところで多くの人が躓いていて、コメント欄で苦労が語られたり、励ましの言葉があったりして、なんだか心強かった。私は独りじゃなかったのだ。

楽しくて悔しくてムカついて面白い、不思議な魅力のゲームだ。

ゆえに名作と呼ばれて今も多くの人がプレイしているのだろう。