昨日は久しぶりにタワレコに行った。
実は、ポールマッカートニーの新譜をまだ手に入れていなかったのだ。
まだ『マッカートニーⅢ』を聴いていないなんて恥ずかしいことなんだから、あまり他の人には言わないようにしておいていただけませんでしょうか。「蟻迷路はまだマッカートニーⅢを聴いてない」だなんて。
ふつうにネットで買えばよかったんだけど、なんだかタイミングを逃していて、いや、そのタイミングに縛られないのがネットショッピングの良いところでしょうが、っておっしゃる通り、でも私にとってはネットショッピングにもタイミング・チャンスというものが必要なものなんですね、しかしながらこの『マッカートニーⅢ』については買うべきタイミングと機会がなんだかインターネットにはどこを探してもないような気がしていて、だから、タワレコで買いたかったのだけどずっとCD屋を覗くチャンスも得られなくて、今に至っているわけなのです。
「渋谷にいい感じのカフェができたみたいだから行く必要があります」と恋人は言った。
私はそのついでに、タワレコに行くことにした。
家から電車を乗り継いで40分、徒歩にすると2時間くらいだろうか。私は都会に住んでいる。
カフェはまぁ、どうということもなくて「一度行けば充分かな」と恋人も言った。
本当にどうということも無くて、まずくもなく特別美味しくもなく、店内の暗さが丁度よかったな、という印象。そのくらいの評価。コーヒーの味があまりなかった印象。
私は渋谷タワーレコードへ、恋人はマルイへ向かった。
タワレコの黄色を目にするとに来ると私の好きなandymoriの曲の歌詞を思い出す。
ひまわり畑の調子はどうだ?
おれのほうだって毎日咲きまくってんだ
わけがわからんわからんわからん
わからんこともわからん
タワレコのビニール袋を部屋の壁一面に貼ってた人がいて、その壁を「ひまわり畑」と呼んでいたらしい。そのエピソードをいつも思い出す。
久しぶりにCD屋に来た。
高校生~大学生の頃はよく地元のCDショップや中古のレコード屋に通っていたものだが、最近はめっきり足が遠のいてしまっていた。音楽自体からも、CDでは聴かず、YouTubeでなんとなく「消費」していた。
買い集めたCDを聴くようになったのは、恋人にオーディオプレイヤーを買ってもらってからだ。過去の自分の好みに立ち返り、ああ、音楽ってそうだ、楽しいものなんだって再発見した。
どういう環境で聴いても良いし、音楽への姿勢とかどうだってよくて、だけど「消費」するとつまらないものだったんだ。どういう姿勢であれ、音楽に少しでも向き合うような心が無いと「消費」してしまうのだった。
そうして最近、家にあるCDをよく聴くようになった。
タワレコでは全然知らないミュージシャンのCDを買うとおもしろい。なんとなく惹かれたジャケットを手に取ったり、視聴スペースで耳を澄ませたり、そうすることが楽しい。
私は自制心が弱いタイプなので、ちょっとでもいいなと思ったら買ってしまう。財布の中身とか知らん。破産しなければいいのだ。
作品とは出会いだと信じている。手に入れるかどうかはそのときの心の動きが大事なのであって、理屈じゃないんだ。次にまた会えるかもわからないし、作品名メモったところで後で心が動かされるかはわからない。
今だよ。今なんだよ。
気になる展覧会があったら迷わず行くべきだし、気になる映画があるならとりあえず観てみればいい。難しそうな本もとりあえず買っておけばいい。音楽だっていくら聴いても減るもんじゃないんだ。
作品を「消費」して減るのは自分の心だけだ。
そうして『マッカートニーⅢ』と他に、クソ格好良いアルバムを2枚手に入れた。
ああ、人生が豊かになった。安心して自分の心を「消費」しないで済んだ。