平日に休みを取り、シン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきた。
普段会社に行くよりも早く起き、普段会社に行くよりも早く家を出て、8時半からの回に席を取った。
まさか上映中、あんなに泣いてしまうとは思っていなかったので、替えのマスクを持っていくんだった。
エンドロールの『One Last Kiss』聴いてるときはもうマスクびしょ濡れで呼吸がおかしくなっており(たぶん窒息しかけてた)、また周囲からすすり泣く声が聞こえなかったのでたいへん恥ずかしい思いをした。
ところでエンドロールの『Beautiful World』のダ・カーポバージョンめちゃくちゃ格好良かった。
まだ整理が追い付いていなくてひたすらな余韻に深く浸かっていて考察も何もないのだけど、もうこの作品については考察なんていらないんじゃないか、観たままのことが観たまま起こった、それを受け止めるだけ受け止めた、でいいんじゃないか。
DVD出たら買う(新劇場版は全部持ってる)。考察はそれからで遅くない。
エヴァに出会ったのは中学二年生のときで、私は13歳で、金曜ロードショーで『序』を観てからだった。
それからコミカライズ版で親しみ、新劇場版はもちろん追い、アニメ版と旧劇場版も全部観て、『シン』の公開をずっと待っていたような、待っていなかったような気がする。
旧劇を観たときはかなりびっくりして、ちょっとしばらく立てなくなった。孤独を選んだ結果の凄惨な結末がこれかと。なんかもう死のうかな、みたいな鬱鬱とした気分になってしまって。これがオタクの成れの果てかと。
アニメ第一話から全部観なおして、新劇場版に入ったときは、今度こそ、シンジが救われる世界になってくれと私も願っていた。
シンジは25年間ほとんど何も成長しなかったのだ。
『Q』で周りが歳を取る中シンジだけは精神的にも肉体的にも14歳のままで置いていかれて、ほかのエヴァパイロットは肉体が14歳のまま心だけ成熟し象徴的なネオテニー(幼態成熟)が印象的だった。
大人になれない大人たち。
置いていかれてる14歳のままの僕たち。
『Q』は旧劇場版並みに辛辣な揶揄だったと思う。シンプルにワケわからないところも多かったし。
シンジは、大人になった私たちのなかに置いていかれている、未解決の思春期なのだ。
────────
なんかここまで書いただけで『シン』のネタバレになっちゃう気がするし、なにも書けていないとも思う。
感想だけを簡潔に書こう。
私はエヴァンゲリオンを観てきてよかったと思った。
登場人物たちは、彼ら自身であり、私自身だったんだ。
寂しく、そして温かい気持ちになり、『One Last Kiss』を聴きながら、この曲が登場人物の誰に向けて書かれた曲なのか理解したとき、また泣いた。
なんて切ないのだろう。なんて愛しい感情だろう。
良い作品は、まるで自分自身の物語のように深く入り込んできて心を満たしてくれる。
この作品を作ったのが人間だと再認識して、人間を素晴らしい生き物だと思う。
そういう映画だった。
シンジや皆に感謝を伝えたくなった。
手を握り、ありがとう、と。