恋人が金曜の夜から土曜日曜に隣県の実家へ帰省するというので、私は喜んで、ああ、こっちの家事は全部やっとくからさ、義父さんと義母さんにもよろしく伝えといてよ、なあに、寂しくなんかないよたった2日間でしょうが、なんかあったらLINEしてね、ゆっくりしてきなね、うん、いってらっしゃい、と金曜の朝、彼女を送り出したかったのだが、実は前日の木曜日からすでに寂しくなっており、金曜の朝は寂しさ余って胃が痛く、若干の不機嫌ですらあった。
しかしまぁ、25歳の男がそんなことで喚いたってなにも可愛く無いので(むしろ醜いので)、金曜の朝は朗らかに送り出した。
金曜日は在宅勤務で、しかもシフトが遅い時間だったので、午前中は一人になった部屋をウロウロ彷徨った。
いつもと違う「独りになってしまった」静けさのようなものが満ちている。
恋人は夜には帰ってこない。その確定的な静けさがカーテンの裾やラグについた足跡やクローゼットの扉に張り付いている。ほっとくと自分の耳の底にまで静けさは張り付いて、寂しくてどうかしそうだったので、カーテンを開け、ラグに掃除機をかけ、クローゼットを開閉してみたりした。ときどきこうして部屋をかき混ぜておかないと、静けさは致死量に達してからじゃ遅い。
21時頃に仕事が終わった。
いつもだったら恋人が先に帰宅して夕食を作ってくれているのだけど、今日はいない。
今から自分で作ってもいいのだけど、どうも自分一人のためにこの時間から料理をするモチベーションがない。仕事ですらモチベーションが無かったのだ。「今日は仕事が終わっても恋人に会えない」こんな状態で料理ができるわけない。
近所のファミレスに行く。妄想をする。
私は独りで席に座り、ハンバーグ定食を注文する。料理が来るまでのあいだ、スマホでもいじっているだろう。料理が来る。食事中もスマホで動画でも観るだろう。
相手もいない、ただうら寂しい食事に何を思えばいいのかわからなくて、端末から情報を常に頭に入れて寂しさをかき消さなければならない。
そうやって食事をしている一人の私を俯瞰で想像する。ハンバーグ定食のデミグラスソースの教科書的な味わいを想像する。夜のファミレス特有の、時間の経った米のにおいを想像する。
窓際の席に座りつまらなさそうにフォークを動かしてファミレスの大衆主義的蛍光灯の明かりに照らされている私は外から見ると「孤独」そのものだろう。
嫌すぎる。
だけど空腹すぎる。
ので、ファミレスを回ったが、こういうご時世のこともあってどこも21時で営業終了していた。
結局、コンビニ弁当を買うより他なく、ついでにビールとワンカップと缶詰の焼き鳥を買い、晩酌とした。
しこたま飲んだ。
頭の中を蝕む空白を埋めるように。
缶ビールを飲み、ワンカップ(オオゼキ)と焼き鳥でキめて、ジンをぐびぐび飲んでいたら、金ローの『ハウルの動く城』が終わる頃にはぐでんぐでんになり、気を抜くと吐きそうになっていた。
愉快な気持ちの反面、恋人の部屋の静けさに思いを馳せるとバッタの大群のように吐き気が増惡し、たとえばトイレの薄暗いライトに照らされながら戻して痙攣する私の丸い背中を想像するとあまりにも惨めで、頭がグルグルなって、気付いたら眠りに落ちていた。
気絶。
もしも恋人が死んでしまったり、恋人と別れてしまったら、私はどうなってしまうのか?
怖い。
朝、ひどい喉の渇きで目を覚ました。
25の男がこんなことではよくない。私は独りでも快活に過ごすべきだ。精神的に恋人を拠り所としすぎている。自分で自分が怖い。
ぼやける頭を掻きながら、私は昨晩の晩餐会を反省した。
こうして、恋人のいない土日がはじまった。