蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

無責任な愛情

社の同期30人ほどのLINEグループがある。

内定者の集まりみたいな、とりあえずグループ作っておくか、というノリで作成され、以来一度も動いていない、まったく存在を忘れていたグループだ。

それが今朝、いきなり動いた。

開くと さらりとした画面に「○○が退会しました」とだけメッセージが浮かんでいた。

 

辞めたのかもしれない。

私たちは3年目になるし、転職を始めるならこのタイミングだよな、とも納得して画面を閉じた。

 

 

新社会人が世に放たれて鼻垂れてるこの時期、SNSやさまざまな媒体で「仕事は辞めてもいいんだ」「嫌になったら辞めてもいいんだ」なんて温かい言葉をよく見かける。

ひと昔前なら仕事は辞めてはならないもので、ぶっ壊れるまで走らされるダークなイメージがあったけれど、近ごろは転職のハードルは精神的に低くなり、自分は会社のものではなく自分自身のものなんだ、自分の人生は自分で決めるんだ、ぶっ壊れてからじゃ遅いんだ、という気風が社会や組織で心地よく吹きつつある。

まだまだ難しいことは多いだろうけど、「自分は自分のもの」意識が少しずつ(ようやく)根付いてきているな、と「仕事は辞めてもいいんだ」言論を目にすると感じる。

良いことだ。

 

良いことだけど、「仕事は辞めてもいい」と言う人は責任を取ってくれるわけじゃない。

身近な場合はともかく、匿名性の高いSNSでは特に無責任だ。

誰もあなたの事をちゃんと考えてくれるわけじゃない。

 

温かい言葉で優しく包み込むようにあなたを肯定してくれて「仕事は辞めればいい」と言うけれど、そこに責任はない。

仮につらくてもこの仕事を続けるとどういったメリットがあるのか、続けていくためにはなにをすればいいのか、あるいは、転職先はどうするのか、転職後の収入は現在と比べるとどうなるのか、なんて「細かい」ことに責任を持ってくれるわけじゃない。

ただ言ってるだけなのだ。

 

うつ病になったり身体的な問題があって仕事を辞めざるをえなかったり、ひどいハラスメント被害に遭ったのなら、取り返しがつかなくなる前に逃げることも大事だ。自分で判断すればいい。

だけど、そういった状況を踏まえず、ただ精神論的な(あるいは神話的な)話として、さも優し気に、大らかに、理解している風に、あなたに話しかけている風で虚無へ向かって「仕事は辞めたっていい」と野放しに口にする奴らのことは、信じちゃいけない。

こういう奴らは無責任だから温かい言葉をかけられるんだ。

言葉を使ってなんかいい感じになってる自分が好きなだけだ。

責任を取ってくれるなら、なんの状況も踏まえずに「辞めなよ」なんて言えないはずなのだ。

溢れる言葉はインスタントでコンビニエンスで無責任な愛情。そんなものばかりの世の中は言葉ばかりが先行して中身が伴っていない。脱毛広告を見て脱毛されるわけではないし、ハンバーガーの広告を見て腹が膨れるわけでもない。そんな言葉が増えている。

 

 

社会人と非社会人のちがいは、責任を持てるかどうか、にあると思う。

それは世間に対してであり、なによりも自分自身に対してだ。

厳しいけれど、うまくやれば楽しくもある立場だ社会人。