蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

少女よ、踊れ

勤途中、10時くらいに住宅街を歩いていると、道路わきからシャカシャカと音楽が聞こえた。

見やると、少女が踊っている。

しかも「ちゃんと」踊っている。

というのは、きれいなシルク色のパーカーに、硬そうなキャップを斜めにかぶって、うっすらと化粧をしていたのだ。「衣装」だ。「ちゃんと」踊っている証だ。

けだるげな練習ではなさそうだった。口角を上げ、眉をそういう生き物みたいにクイクイ動かす。リズムに乗せて関節という関節を機敏に曲げたり伸ばしたり時には反らせる。小さくジャンプしたり、足首のひねりを使って横に後ろに動く。移動を伴う。人間とは不思議なことをするものだ。

とにかくその出で立ちと動きの気合度は練習のものではなく「本番」のものだった。

でも誰に見せてるのだろう

 

少女はスマホをインカメにして塀に立てかけ、画面に向かって踊っていた。音楽もスマホから流れている。

はは~ん。なるほど。これはあれだな。TIK TOKというやつだな。

 

私はTIK TOKをやったことがないので確証はないが、「音楽に合わせて若い子が踊りスマホと連動している」ものといえばTIK TOKと決まっている。

なるほど。だからこんな住宅街で、独りで踊っていても、それが「本番」になっているわけだ。「世界中に」向けて踊っているわけか。淋しい子ではないのか。繋がっているのか。インターネットと。

 

あまりにも、あまりにも、あまりにも、

微笑ましい。

 

平日の午前中からまったくなにをやってんだか、と呆れる人がいるかもしれない。

ネットの繋がりなんて所詮虚飾のもの、承認欲求の権化、と揶揄する人がいるかもしれない。

だけど少女よ、気にせず踊れ。

いまの君にできることは、ダンスだ。やらなければならないことは、無我夢中のダンスだ。ダンス・ダンス・ダンス

 

彼女は人目もはばからない。SNSに夢中になり、自分を世界に発信して注目を浴びる夢を見ている。ある意味はしたないかもしれない。

でもそれがどうした。

彼女はひとつのことに夢中になって、自分を見すぎて自分を忘れ、画面を隔てた世界へ向かっている。

きりっと上がった口角と、リズムに合わせたダンスのキレが、嫌な会社へ向かう私の背中を押してくれる。それは春の突風みたいに眩しく青い。

 

独りで踊っているのが良かった。その行動には自分の意志が詰まっていた。彼女は踊りたくて踊っているのだ。その想いに真実がある気がして、ふと見やっただけなのに微笑ましく嬉しい気分になった。

なんであれ一生懸命にやっている姿は少女でもおっさんでも、見ているこっちが元気を貰えるものだ。

 

私は春風に乗って、会社へ向かった。

 

 

 

ふと、

ああ、なんか、やばいけど、

確実に年齢を重ねているのだな、と思った。