エヴァンゲリオンはこれまでかなり多くの企業とタイアップを組み、さまざまな宣伝を担ってきた。
直近で大々的にやっていたのは「外食5チェーン共同作戦」である。(※4/20に終了)
私はすき家へよく行く都合上、碇シンジがオム牛カレーを宣伝しているポスターを幾度となく目にしたのだが、そのたびに、シンジ、お前はそれでいいのか、と思っていた。
はま寿司のアスカよ、なか卯のレイよ、COCO'Sのカヲルよ、BIG BOYのマリよ、お前たちは本当にそれでいいのか。
海も大地も真っ赤に染まって死滅している絶望の世界で、お前たちは(言っちゃ悪いけど)そんなことをしている場合なのか?
一度その胸に問うてほしい、と、オム牛カレーのシンジの笑顔を見つめながら幾度となく思った。
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企業とタイアップすると、商品によっては作品内容と齟齬が生まれてくる場合がある。
作品と商品の間に生じる齟齬とは何だろうか?
まずは齟齬が生まれない場合を考えたい。
たとえば。
たとえば、『ゆるキャン△』とカップラーメンがコラボしていたらどうだろうか?
『ゆるキャン△』は女子高生がキャンプをするアニメなので、インスタント食品としてカップラーメンも作品の空気感に合うと考えられる。
冬の夜空の下、湯気を立てながらふーふー啜る しまりん。かわいい。
カップラーメンは現代のもので日常的な商品であり、『ゆるキャン△』も現代が舞台で日常的な女子高生が主人公であるため、カップラーメンが登場しても無理なく解釈できる。(実際に第一話でカップ麺を啜ってましたね)
そのため、商品と作品世界が無理なく調和し、齟齬を起こさないのだ。
では次に齟齬を起こす場合を考えてみよう。
これには良い実例がある。
『Dr.Stone』と「スニッカーズ」と宮下草薙のコラボだ。
原作を読んでいればわかるのだが(全巻読んだ)、この広告には作品とはあり得ない箇所が相当数散見される。いちいち挙げてもラチが明かないので、簡単に作品を説明しよう。
ある日突然、謎の爆発によって地球のすべての人類が「石化」してしまう。主人公の千空が石化から解けて目覚めるとそこは3700年後の未来。文明は崩壊し、自然に呑まれていた。千空は卓越した科学知識で石化の謎に立ち向かい、仲間たちを石化から解き、やがて文明を築いていく。立ちはだかる敵、謎、試練。この作品は爽快に展開するSFサバイバルアドベンチャー活劇である。めちゃくちゃ面白くて頭がおかしくなりそうだった。
こういう世界なので、もちろん、スニッカーズは作品に登場しない。登場できない。
スニッカーズどころか、菓子の類さえなかなか姿を現さない。なぜなら石器時代だから。
それを踏まえてもう一度動画を観てほしい。
千空はスニッカーズを携えて森をウロウロし、芸人をスニッカーズで復活させて、ケラケラしている。
商品と作品がまったくハマッていなくて、これは二次創作なんじゃないかと錯覚する。でも一応公式なのだ。
これは作品と商品の世界がチューニングされていないために起こった齟齬と言えるだろう。
齟齬が生まれやすい作品がある。
その多くは『Dr.Stone』のように、作品世界が特殊な場合だ。
「3700年後の石器時代に戻ってしまった世界」ではなにを宣伝するにも無理がある。スニッカーズではなく黒曜石の宣伝をした方がまだマシとさえ思う。
『鬼滅の刃』も「大正時代の鬼がいる日本」なので商品宣伝には使いにくそうだ。なぜなら、大正時代にはスニッカーズはないのだから。
こうした特殊な舞台(少なくとも現代日本ではない場合)を持つ作品とコラボする場合、キャラクターだけを使用する場合が多い。
舞台は使わずキャラクターだけなら、あくまで背景が見えないので(一応は)、作品と商品に一見は齟齬が生じないのだ。
このようにエヴァンゲリオンも「キャラクターだけを使用」しているので、無理なく「外食5チェーン共同作戦」を敢行できているのである。
『Dr.Stone』は作品世界ごとコラボさせてしまったから、結果、齟齬による違和感がまとわりついてしまっている。そう、歯に絡みついたピーナッツキャラメルのように。
その点、エヴァはキャラだけを使っているから、無理ないコラボになっている。
無理ない?
無理、ある。
ありまくりだよ。
あり得ないよ。
なぜキャラクターだけの使用なのに、エヴァコラボには無理が生じているのか?
エヴァの無茶苦茶な世界を使っていなければ、コラボに齟齬は起きないはずではないのか?なんなら舞台は2015年だから、たぶん「すき家」も第三新東京市に存在するはずだ。
なぜ齟齬が生じているのか?
なぜなら、エヴァンゲリオンのキャラクターたちがそれぞれに重い過去や事情をひっ提げているからである。
エヴァの場合、キャラがこんな表情をすることがあり得ないのだ。
レイは肉を食べないし、カヲルはシンジにしか興味がない。シンジはオム牛カレーを買ったくらいでは取り戻せなくなるくらい心を傷めている。
とても「外食5チェーン」とは言ってられない人たちなのだ。
これまでのエヴァコラボもすべてそうだ。企業コラボしてる朗らかなシンジを見付けると「お前はそうじゃないだろ」とモヤモヤした気持ちを抱く。
シンジは幸せになってほしいはずなのに、ちょっとイイ感じの服着て爽やかに風吹かしてると、「やっとる場合か」とツッコんでいた。
キャラクターそのものが商品の世界と合致していないのだ。
これではコラボに無理が生じても仕方がないと言える。
しかし最近。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版 :||』を観たことで、エヴァコラボへの見方が変わった。
以下、ネタバレになるので気を付けてほしい。
今作でシンジは、未来へ歩み、幸せを手にする。
作品には賛否両論あるけれど、その結末は揺るがないと私は信じている。シンジはとにかく前を向き、一人の男として、人間として、自分のための未来へ足を踏み出すのだ。
私は考察もできないし、結末に関しては詳しいことはよくわかっていないのだけど、ここでは「シンジは幸せになった」ことがコラボを解釈するうえで重要なので考察なんてどうだっていい。
コラボしているシンジは、幸せになった世界線のシンジ、なのだ。
コラボして牛オムカレーを食べているシンジは、死滅した世界を知らないし、なにかを失っても立ち直り、失ったことさえも慈しむことのできる世界線のシンジなのだ。
その幸せなシンジは、エヴァの作中でいろいろと頑張っていたシンジがいたからこそ誕生できたのだ。この愛しい世界に。
ちゃんとハッピーエンドで生きている碇シンジを、これまでの数々のコラボから見ることができるのだ。
ああ、よかったね、シンジ。
そうか、シンジ。
きみはいま、幸せなんだね。
不思議と朗らかな表情を浮かべるシンジに安心感を覚えるではないか。
コラボしているすべてのキャラが愛おしくて、アスカ、よかったな、と涙ぐみさえする。レイもそういう風に笑えるようになったんだね、と胸がじんとする。私はちょっと頭がおかしいのかもしれない。
「シンジ、オム牛カレーを食べろ」
「シンジ君、オム牛カレーよ。食べなさい」
「碇君が、もうオム牛カレーを食べなくてもいいようにする!」
こういうコラボにならなくてよかったな、シンジ。
胸を熱くして私は、チーズ牛丼大盛りを注文する。