蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

大人になってよかったなってこと

間では「大人になること」はつまり「子どもの心を失うこと」とイコールで、青春を失うような悲しいこと、無粋なことのように揶揄されているけど、言わせてもらうが、絶対に、大人になってからの方が人生楽しい。

子どもたちは「大人なんて」って思うだろうし、私も多感なティーンの頃は思っていたが、大人の楽しさを知らずに「大人なんて」と悲観するのは良くない。

 

大人になれば強制的に試験勉強させられることもないし、たとえ試験勉強しなければならなかったとしても、それは自分がした選択の結果であって、自己責任なのだ。受験勉強や定期考査みたいに強制的なものじゃない。大人たちにやれと言われているのではない。

自己責任が良い。

私は「誰かに」「自分の意志とは関係なく」「強制的に」あるいは「恩着せがましく」なにかをさせられるのが とっても嫌い、なので、自己責任で自己決定しいろいろ選択したり行動できるのは、大変だけれども とってもありがたい。

 

自己決定できるって、すばらしい。

たとえば誰の許可も無く、自分の意志で深夜のコンビニに出かけて酒を買ってもいいのだ。肉まんを買っても怒られない。コーヒー牛乳を買ってもいい。なにも買わずに帰ってきてもいい。

子どもの頃は深夜のコンビニに行く程度のことで親の許可を得なければならず、またそんなことお願いしたところで100%許してもらえなかった。あの頃は深夜のコンビニというものにある種のユートピアを夢見ていて、強烈な憧れを持っていたものだ。

今はいつでもコンビニへ行けるし、実際深夜のコンビニってかなり良いところで、私はあれを真夜中のオアシス、と呼んでいるくらいだ。

 

平日の夜、いきなりクリームソーダを作ってもいい。

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心が無理になった日の帰り、無印良品に寄って高めのメロンソーダを買い、スーパーでバニラアイスを買い、急遽クリームソーダを作ってもいいのだ。

私には自分で稼いだ金があり、それを自分のために遣うことができる。

自分で自分の機嫌を取ることができる。

二日連続で作ってもいいのだ。

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好きな絵描きの個展に行き、絵を買ってきて、部屋に飾ったっていい。

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自分の住む家なんだから好きな絵を飾っていいのだ。許可は私が出す。私がやる。

なんなら部屋にあるもの全部自分の意志で揃えてるし、置いてあるものも自分で良しとしたものを設置している。そこに私の意志ではない「他者」は介入せず、私自身の心が決めた部屋になっている。

親が買った勉強机もないし、捨てろと言われた大量の漫画だって置いておける。

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ベッドカバーを緑色に変えたいし、壁が寂しいのでポスターなどを貼りたい。それだって自分の意志でいい。

 

私は私のために生きられる。

もしかしたら今後、自分の意志に基づいて、誰かのために生きる人生だって、選択可能だ。

 

大人になって自分のことなら誰の許可も無く自分の決定権で行動できるようになったのが本当に嬉しい。

成功したら自分の功績だし、失敗しても自己責任なので気が楽だ。

10代のころ息苦しかった束縛感は私の家庭環境の影響も強いのだろう。

ありがたいことに社会人になったら親からの束縛は無くなり、自由に動けるようになった。行動範囲が精神的に広がった。

 

さまざまな責任を負わなければいけないのは、ときどきしんどいこともあるけれど、それすらもなんかちゃんと自分の足で生きているんだなって実感があって、私は面白がっている。

 

大人になってよかった。

大人は嫌なことばかりじゃない。悪いことがあるとすれば、ただ、目が悪くなって小さな幸せを見付けにくくなっているだけなのだ。

あの頃の自分にそう伝えたい。