蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

朝食メランコリー

ごはんを食べられる期間と食べられない期間がある。

その期間の変化は波のように緩やかな曲線を描くものではなく、0か1の明確な違いで、シンプルに食べられない日は食べられないし、食べられるときは食べる、ONとOFFの差だ。

 

2週間食べる朝が続いたかと思えば、その次の2週間はまったく食べられなくなってしまう。

3分で食べていた食パン1枚を30分ほどかけて食べる日もある。

食べられない日が続くと私は食事をはなから諦めて、紅茶だけをちびちび啜ってぼーっと天気予報を眺めるが(今週ずっと雨か)、一杯の紅茶すら喉を通らない日だってある。

 

恋人は朝食を毎朝変らないペースで食べる。

「血圧が低いから朝ちゃんと食べておかないと満員電車でぶっ倒れちゃうの、それに時間も無いから」と言って、猛烈なスピードで食パンを飲みこむ。

たしかに彼女は血圧が低いのだが、その食べっぷりを目にすると、とても低血圧には見えない。むしろ私の方が低血圧そうだが、実際の私は血圧がやや高めだ。

彼女は朝、きわめて忙しいので(準備すべきチェック項目がおよそ170個ほどある)、私がパンを焼いたりもろもろの家事をする。

朝食を食べれない私はもはや給仕係である。彼女の食事しか用意せず、自分の食事は紅茶か水道水だ。

彼女が羨ましくもあり、恨めしくもある。

彼女がちゃんと食べるせいで、食べていない私が悪者みたいに思ってしまうのだ。

だから、私もパンを焼いて食べようと努力をするのだけど、なかなか飲み込めなくて、5分も噛み続けて最終的には口の中で液体になったパンを少しずつ吸収していく羽目になる。

食パン一枚を30分ほどかけることになる。

「食パン一枚30分健康法」を実践してると思われてる。

 

中途半端に食べる日と食べない日のばらつきがあるので、偶数枚の食パンの数が合わなくなり、毎回一枚残る。

でも問題ない。

パンが残り一枚だったら、私が食べなければ済む話だ。

朝ごはんはチョコレート一粒とミルクティーくらいが丁度良い。濃いめに淹れた紅茶は目が覚める。

 

 

だが、食べるときは食べる。パンだけじゃ物足らなくて、卵やベーコンを焼いたり、おせんべを追加で食べることもある。

我ながら意味不明である。

「朝食は食べた方がいいなぁ!みんなも食べなよ!」

優しさが押しつけがましいキャラになり、さらに朝日は気持ちがいいなぁ!などと言って胸をドンドコ叩きたくなる。

意味不明だ。

 

 

朝食問題には結構悩まされていて、毎朝目を覚ますたびに今日は食べられるか食べられないかわからなくてベッドの中でうだうだしてしまう。

「朝食」そのものが憂鬱になっている。それも、食べられないから憂鬱になっているのではなく、「食べられるか食べられないかわからない」から憂鬱になっているのだ。

 

いっそ、もうずっと食べないでいたいと思っている。

いっそ、朝食大好き人間になりたいと思っている。

自分がわからない。ブランチは好き。ブランチは絶対に食べれる。

なんなんだ。

 

 

やれやれ。

朝食が「朝飯前」だったことがないなんて。