昨日は朝からがんがんに晴れていて、たぶん完全に梅雨明けしたっぽかったが、聞くところによるとまだ梅雨入りもしていないらしい。
本格的に夏がはじまりそうだけど、まだ夏じゃないとわかるのは、なんとなく夕方の匂いが夏になりきれていなかったり、夜風が硬く涼しくて、モワリと膨らむ感じがしないからだ。本当の夏の夕方はいつの間にか忘れていた子供の頃の記憶みたいにセツナい香りがするし、熱帯夜は夢よりも悪夢的な暑さになるものだ。
夏に向けて、扇風機を出した。
網戸にして扇風機を回しておけば、今くらいの季節なら快適に過ごせる。
扇風機は組み立てるたびに「こんなに難しかったっけ?」と思う。もう10年くらい毎年組み立てているし、機種が変わってもだいたい工程は同じなのに、毎年難儀する。
網が前後でうまく噛み合わず、ハマったと思ったら別の個所に歪みが生じ、不完全な円になって明らかに負荷がかかっている。
「もういいよ。ハマったんだもん。使えるよ」と彼女は言ったが、私はこれをよしとはしなかった。
この歪みは必ずいつか我々に痛手を負わせることになる。確かな予感だ。
歪んでいて良いはずがないのだ。骨盤も政治も建築も、歪んでいればいつか崩れる。歪みが良いとされているのはエレキギターくらいだ。
なんとかしてうまいこと組み合わせ、無事扇風機を完成させた。
起動してゆるやかな風が吹くと、たしかに夏の香りがした。
これからどんどん晴れが続いて、扇風機も活躍することだろう。
夏は快晴の季節だ。満点の晴れだから、どうしても洗濯物が捗る。
天候に恵まれなかった月曜日に洗濯した布巾・タオル類が生乾きになった結果、履き古した革靴みたいな悪臭を放つ布に変わり果てたことに過度のストレスを受けていた(なぜ私たちは一日の疲れをシャワーで洗い流した後に腐った臓物みたいなニオイのするタオルで体を拭かねばならないのだろう)ので、夏的な空で快晴となった水曜日、再度洗濯し直してかんかん照りのもと広げて干し、日光消毒の刑に処した。
私は偉いので、仕事に行く前に洗濯物を干す。めちゃくちゃ偉い。
帰宅したらピンチハンガーがベランダに落下してぐちゃぐちゃになっていた。
天罰?
幸いにも泥などで汚れてはいなかったが、心理的瑕疵(かし)は免れない。
私は地面(ベランダ)に落ちたバスタオルで身体を拭わねばならないのだ。それは拭うというよりも、なにか目に見えないケガレをこすりつけるに等しい。
汚れてはいないけど一度地面に落ちたもので、しかもいったいどれだけの時間落ちていたのか計り知れないではないか。
でも仕方がない。
我が家のバスタオルはひとり二枚しかないから、次の洗濯まではこれを使うしかない。小市民はつらい、バスタオルも満足に使えないのだ。
ついでに、日光消毒の刑に処したはずなのに、バスタオルからは苔生したドブ川のニオイがした。
天罰?
「ファブリーズ(無香タイプ)猛噴射の刑」に処す。
なにが快晴だ、夏空だ。洗濯乾燥機しか勝たんのだよ。
なにもおもしろくない。
こうなったら明日も洗濯物の話してやる。