スーパーで とうもろこしが安かったので一本買った。
旬ですよね。旬を食べないと人間を忘れる。そう思って買った、まではよかった。
次の日別のスーパーへ行ったらさらに安くなっていた。しかも丸く太くてヒゲもわさわさしていたのがショックでしばらく落ち込んだのだけど、結局とうもろこしご飯にしたらどうでもよくなった。
炊き込みご飯って意外と簡単で、美味しくて、嬉しくて、大好きだ。
でもおかずにはならないから炊き込みご飯プラスおかずを作らねばならず、結果料理工数が増えるので、重宝とまではいかない。
でもさ、土井善晴先生もどっかで言ってたけど、夕食なんて一汁一菜でいい気もするんだよな。器大きくして具材ゴロゴロさせれば充実感出る。器に金かけるも素敵だ。料理の格が上がる。
炊き込みご飯、味噌汁、煮物、でいいと思うんだ本来。無理は良くない。
話が逸れたが何を言いたいかというと、炊き込みご飯っていいですよね、ってそれだけ。
とうもろこしの炊き込みご飯は 削いだ実と とうもろこしの芯を入れてコンソメぶち込んで炊き、炊き上がったらバター混ぜて終わりなんだから労力なんてほとんどない。炊飯器がよしなにやってくれる。調べればレシピもいくらでもあるのだ。
ピラフ風で美味しい。おこげが嬉しい。
炊き込みにして、とうもろこしの香りを口いっぱい、胸いっぱいに頬張ると、ああ、旬、と思う。
旬を感じると自分は社会というシステマティックな機構に組み込まれたモノである以前に、季節の中で呼吸をして食事をして生きている、一匹の野生なんだって実感する。
まぁその旬を感じられる野菜はシステマティックに社会の取り組みの中で生産され獲得されたものなんだけど、と書くとこの世もあながちディストピア。
でも、ディストピアだとしてもよ、野菜には旬があり、私はそれを享受して、よろこび にひたっていることには変わりないのだ。
季節はコントローラブルでもシステマティックでもない。
私たちは季節に、天候に、時間に左右され続けて、この世界に一匹、野生で生きているんだ。社会の外側には世界が広がっている。
この世界で生きている。
などと広大なことを考えて、夏を食らいます。食い尽くします。夏。