蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

パンケーキを焼かない

事中、嫌気がさすと私は倉庫へ行く。

倉庫には段ボールが貯まっている。山積みになったのを部長に見つかったら怒られが発生するのでこれを私は率先して片付けているのだが、本来はみんなの仕事なわけで、チキンレースみたいに誰かが片付けるのを待っているのが段ボールの山に透けて見えてそこそこに腹が立つ。

ただ、怒られが発生するギリギリのラインで私が片付けたことにより何度も窮地を救った実績があるのでそれを誇りに段ボールを解体していく。それに私は、段ボール解体が嫌いなわけではないのだ。

 

嫌気がさすと倉庫に来る。ここには解体してよい段ボールがいくつもあり、これらを粛々と解体する。

伝票を切り刻み、テープを剥がし、開いて折り畳み、踏みつけて潰す。

さまざまな大きさの段ボール箱を解体しておおよそ同じくらいの大きさに畳む。それらをまとめて一つの大きい段ボール箱に入れる。その箱がいっぱいになったら台車に乗せてビルの共有ゴミ置き場に捨てに行く。

やることはシンプルだし、自分の成果が目に見える。貧弱な私の腕にも負える丁度良い肉体労働ができて、なんていうか自信を取り戻せる。

なによりも、解体できるのがいい。この世には解体していいものなんてあまりないのだ。解体したいものはたくさんあるのに。

 

 

解体中、ある念が脳裏に閃いた。

「今日は帰ったらパンケーキを焼こう」

私は社会人で、賃金を毎月少ないながらも貰っていて、あまり余裕はないものの物怖じせず「夢庵」に行けるくらいには財力がある。

自己決定権があり、自分の行動は自分で選択できる。夜ご飯何を食べてもいいし、やろうと思えばローンを組んで自動車を買うことだってできる。

20歳を超えて5年、実家を出て恋人と暮らし、もう親には縛られていない。法律と良心だけだ、縛られるものは。

私はたとえば、平日の夜に、夕食後に、パンケーキを焼いて食べれるのだ。

 

今やらずしていつやる?

たぶん30歳になったら本格的に体力がなくなって、仕事終わりにパンケーキを焼くことなんてできないだろう。もしかしたら子どもでもいるかもしれない。尚更できない。

パンケーキを焼くことは「自由」の象徴であるように思えてならなかった。

パンケーキを焼かないと一生後悔するとさえ思えてならなかった。

 

しかし……とここで段ボールを解体する手が止まった。

「いきなりパンケーキ粉を買って帰って、夕食後に焼きはじめたら彼女はなんて言うだろう?」

先ほど私が縛られているものは法律と良心だけと書いたが、ここに間違いはない。

「彼女は驚くだろうな。もしかしたら呆れるかもしれない。嫌がるかもしれない、こんな私を……」私を引き留めたのは良心に他ならない。

やるなら一度相談した方が良いだろう。いきなりはマズい。私と彼女はまったくちがう生き物で、それぞれの価値観や文化があるのだ。一緒に暮らす以上、その線引きは忘れてはいけない。いくら仲が良くても。

結局その日はパンケーキ粉を買わず帰った。

 

 

家に帰ると彼女が夕食を用意してくれていた。

干物を食べ、温めたとうもろこしを齧り、すまし汁を啜った。美味しかった。

仕事がなんだかつらいこと、転職しようと思っていること、病魔に侵される夢を見たことなどいつものように私は話し、彼女は職場の愚痴を語った。月曜日らしい陰湿な食卓である。テーマは仕事と死について。人生のすべてだ。

 

「たとえばさ」と私はおそるおそる切り出した。

彼女に否定されれば、それはそうなるだけだ。パンケーキを焼かないだけだ。それだけのことなんだ。

「僕たちはもう大人だから、夕食後にいきなりパンケーキを焼くことができるね」

「そうだね」

先述した、もう誰にも縛られてないし、社会人だし、やるなら今しかないということを私は話し、そして言った。

「たとえば明日、パンケーキを焼こうと思うって言ったらどうする?」

 

「ぜったいにやるべきよ」

 

彼女は一ミリの迷いもなく、真っ直ぐ私を見て言った。

やはり私が縛られているのは、法律と良心だけなのだ。

彼女となら楽しく生きていける確信がある。

 

 

(明日に続く)