蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

夏の夜の玄関の闘い

「死ねばいい。すべて滅べばいい」ついに彼女が厭世的な発言をしたかと思いきや、それは夏の虫たちへの純粋な殺意であった。

「なぜこの世に存在しているのかわからない。お願いだから死んでほしい」彼女は虫が嫌いなのである。

私も虫は得意ではなく、耳のあたりをブーンと飛ばれるとゾーっとして全身ひきつけ(痙攣)を起こすほどだが、それに比べても彼女の虫嫌いは酷く、根深い人種差別問題よりも憎んでいて、なんならこの世のすべての歪みとか悲しみの根源は虫にあるとすら思い込んでいる。

虐殺。

彼女は虫たちの民族浄化を望んでいる。

「はやく死んでちょうだい。滅んでちょうだい」

虫への悪口とわかっていても、そういう強い言葉を聞くとなんだか自分に言われているような気がしてきて悲しくなる。自己評価を虫けら同然に捉えているからだ。

 

 

先日、夜中にコンビニに行った帰りに玄関の外の誘蛾灯にカナブンが一匹迷い込んで飛んできてしまい、彼女と恐慌を起こして死にかけた。

「なんで?なんでうちの玄関にいんのよ!!!これじゃあ入れないじゃない!!!」

「そうよ!!なんなのよあんたは!!!なにがしたいのよ!!!!」私もパニックに陥って言葉が女形になった。私はパニくるとオネエ調になる特性がある。

「オネエになってる場合?なんとかしてよ。やだもう」

「私だって怖いのよ!なんなのよもう!ズルいわ!オトコだってねぇ!虫が嫌いな人もいるのよ!!」

「ほんとうに今男なのか?」

いかんせんオネエになっているので緊張感に欠ける。

 

カナブンは何を思ってか電燈に猪突猛進し、ぶつかっては弾かれ、ドアの周りをブンブン唸って半ば怒りを体現するかのように激しく飛んでいた。人間が近くにいること自体彼(あるいは彼女)にとってストレスなのだろう。近づくと威嚇するように顔めがけて飛んでくる。

カナブンが頭の上を旋回する中、なんとか鍵は開けた。彼女は離れたところから腰の引ける私を見ていた。全身鳥肌立ちまくりで、なんかもう、ふつうに、たぶんちょっと、失禁、した。してないけど。長男だったから我慢できた。次男だったらやばかった。

しかしこのままドアを開けると中に入ってくる危険性があり、そうなるとかなり面倒くさいことになる。今の状態でドアは開けられない。カナブンを捕まえるか、他の場所に誘導しなければならない。

「おれが引きつけている間に、君は玄関に入れ」

「え」

「おれがなんとか引きつけるから」

私は荷物を彼女に任せて、大相撲の如く腰を落とした。

両腕を上下左右全方向に伸ばしこれが大手を振るうと言えるのか、とにかく腕を振り回してガニ股のまま前進、後退、前進、後退と繰り返してまた必死になって「ホウホウ」と声を出して虫を引きつけると即座に全身を大きく伸ばして激しく震え、アピールした。「今だ!入れ!」

しかし恋人は動かなかった。

爆笑して動けなかったのである。

「おいおいおいおい!!!!」

「だって、おかしいもん、そんなの。虫を、引きつけるんじゃなくて、あなたが、ひきつけを起こして、どうすんのよ」彼女はひーひー言ってほとんど泣きながら爆笑していた。

 

もうあとは無我夢中さ。

彼女を抱えてドアを開け、急いで閉めた。ドアを閉めるときに案の定カナブンが入ってきそうになった。なんでわざわざ入ろうとするんだ。本当の馬鹿なんだろう。がちゃん、とドアをかたく閉ざした。

「ああ、笑い死ぬかと思った」

「真夜中の廊下であんな痴態を晒したおれの身にもなってみろよ」

「その恋人である わたしの身にもなってよ」

 

 

早急に強力な殺虫剤を購入し、玄関や網戸周りに噴霧しておく必要がある。一匹の虫も寄せつけてはならないのだ。

でないとまた、私は痴態を晒す羽目になる。