普段は知らない人に話しかけることもないし、逆に話しかけられることもないのだが、つい流れで会話しやすい場面というものは場所性によっては避けられず、たとえばタクシーの車内では運転手という知らない人と喋ることがままある。
観光ですかとか、遅くまでご苦労様ですとかそういう軽い話から、運転手の人生観を交えた仕事の愚痴話など、など。
だけど私から話を振ることなんてなくて、ほとんど終始聞くに徹する。知らない人と喋れないし、喋りたいとも思わない。
そんな私にしたらお喋りなタクシー運転手は奇特な人種に思える。この職業は話すべきことの多い人が優先的に就労できるのだろうか。運転手がお喋りで困ったなんてよくある話だ。あの運転手もそういう人だった。
「やっぱりね、夏になると乗って来るんですよ」
「はぁ」
「特に、この、お盆の時期ね」と彼が中高年男性の枯れた丸みを帯びた声で言った話の切り出しで、怪談だとわかった。しかしながら朗らかな語り口は私を怖がらせるつもりはなさそうだ。
「タクシーに乗って現世に帰って来るなんて、ずいぶん近代化した霊だと思いますわな。精霊馬に乗れるご先祖様も少ないらしい」
「はぁ」
タクシーは表参道交差点を軽快に右折した。
「年に一回、あるかないかですね、そういう話聞くのは。とくに多磨とか西東京の畏れ山のあたりなんか目撃情報も多いです。だからこの時期はそっちの方はよして、こうして23区の夜も明るいこのあたりを走るようにしてるんです。道が複雑だし外国人も多いから難しいんだけど。お化け乗せてタダ乗りされちゃ堪らない」
「はぁ」
「でもね、お化けを乗せちゃうのも悪い話じゃなくて、けっこう話を聞きたがるお客さんもいたりしてね。まえなんかインターネット作家みたいな人乗せたときは興味津々で聞かれましたよ。こういう話、アクセス数?が稼げるとか言ってね。世間は自分とは関係のない不幸と恐怖を求めているんです、なんて、よっぽど人間の方が怖いじゃないかって笑って」
街灯の明かりが路端に止められたスポーツカーの黒く光るフロントガラスに反射する。道路は止まっている車ばかりで、車道そのものは空いていた。
これなら目的地に早く着くだろう。
外苑前をタクシーは少し待ってから右折した。
「霊とか魂ってあると思いますか?なんて訊くんですよ。
何度もお化け乗せてて、こう言っちゃよくわからないでしょうけど、いまだに信じられんのですわ。たしかにあった出来事なのに、そのこと自体を信じられない。
日があいてくると記憶自体もなくなってしまう。あの時感じた恐怖も、齢を取るにつれてどうだってよくなってきてね。自分がそろそろ死期が近いからなのかもしれませんね。自分もいざそっち側になるのかと思うと、べつにどうだってこともなくなるもんですね。幽霊なんてどっちでもいいし、怖くもない。
じゃあそれなら23区はやめて西東京に戻れば、って思いましたか?いやいやいやいや。それとこれとは話が別。老いるとどんどん図太くなりますよ。
そうそう、老人程やっかいな人種もいませんよ。みんなあたしみたいにお喋りでね。お客さんみたいに無口ならいいんですけど。
なんだかんだ、齢を取るのがいちばん怖いってことですわ。
怪談じゃなくて申し訳ありませんね。怖いのは苦手なんです。
さぁ、着きましたよ。
……ってあれ?」
私はドアが開く前にタクシーを出て、霊園の勝手門へ入った。そこかしこで迎え火の小さな煙が立ち上り、霊魂の漂う甘い香りがした。
実際、盆に現世へ帰るときはタクシーが便利なので、あのお喋りな運転手がこれにめげず仕事を続けて次の夏も私をここまで送ることができるように、無病息災を霊的に祈ろうと思う。