(sukoshipintogazureteiru)
恋人が出かけていて夜にいなかったので、普段彼女がいたら作れないものを作ろうと思った。真っ先に浮かんだのはイカ墨スパゲティ。彼女は口が汚れるのをひどく嫌うのだ。猫が水に濡れるのを嫌うように。
「さてイカ墨スパゲティを作るか」と簡単に言うので私はこれを作り慣れているかのようだが、一度も作ったことがないし、イカ自体捌いたこともないし、イカ墨スパゲティを最後に食べたのは覚えてないくらい昔のことだ。
特徴:黒い、イカが入ってる、塩気がある
イカ墨スパゲティの解像度が低い。こんなことで大丈夫なのだろうか?
とりえあえずレシピを予想しよう。
レシピ(予想)
スパゲティを茹でる
捌いたイカをたっぷりのオリーブオイルとニンニクとトウガラシで炒める
オリーブオイルが乳化したらイカ墨を投入。煮立たせる
茹で上がった麺を絡ませて盛り付ければ完成
ようは普段つくるアーリオ・オーリオの黒い版と考えて差し支えないだろう。
一応Googleで調べてみるとさまざまな流派があってやり方は千差万別だったが、おおよそまとめるとレシピ(予想)のやり方で問題なさそうだった。
さっそくスーパーで するめいかを買ってきた。
料理本のオマケ頁に小さく載っている5行ほどで説明された「イカの捌き方」を参考に、慎重に調理ハサミを入れていく。
イカは見てわかるとおり、全身ぬるぬるしていて、構造もふつうの魚や人とは違うわけで、ハサミを入れるごとにわけのわからない構造が目に飛び込み、不可解な感触が手にぬめりこんでくるので、終始混乱した。
ひどく奇妙だ。
なんていうか触りながら生命の感じがしないのだ。
魚だったら鱗の下にある肉や内臓や骨の厚みに反発を覚えて確かにこいつは海で生きていたものだと実感するのだが、イカはまったくそんな感じがしない。
トイレに詰まっていたようにも思えるし、くじらの歯周ポケットに生息しているような気もするし、泥から自然発生していると言われても古代なら信じたかもしれない。
まったく未知。捌いてて意味が分からなくて何回かキレそうになった。
ずっとぬるぬる。はさみで切るとくにゃくにゃしてる。
包丁を入れると切りごたえは「さくさく」していてそれも意味わからなかった。なんなんだ。おもしろすぎんだろ。
ここで問題が発生した。
イカ墨袋が無いのだ。
墨袋は内臓にくっついているはずだが、どこにも見当たらない。
最悪だが、すべての臓器をかっさばいた。胃袋から消化して溶けかかった小魚の一部が出てきたが、あとはオレンジ色のモツばかりで塩辛くさく、墨袋は見当たらない。
捨ててしまった骨の一部や眼球もゴミ袋から取り出して探したが、それらしいものはなかった。まな板の裏、排水溝、枕の下も探したが、いよいよ無い。
不良品か?
おい。ふざけんじゃねぇぞ。
クレーム入れるか?どこに?オーシャン(海)?
「おたくの海で獲れたスルメイカですがね、墨袋が付いてませんでしたよ。どうしてくれるんですか?」
太平洋さんさぁ……
どうあがいても無いものは無いので仕方がない、イカのアーリオ・オーリオを作ろう……
バジルをかけたら焼きそばみたいな見た目になったが、ふつうに美味しかった。
やっぱり魚介が入るとダシが出てより美味しくなる。
墨袋が無いのは不可解極まりないが、とりあえずイカの捌き方も覚えたし(ほぼ我流だが)またひとつ料理の腕を拡張できた。料理って手ごろに成長できるのがいいところだ。
あと、紅茶で煮豚も作った。
見てわかるとおり、めちゃくちゃ美味しい。
肉の塊を煮るという行為に得も言われぬ快感を覚えるのは私だけだろうか?
どちらも美味しくできてよかった。
でもさ、独りで食べても、「美味しい」だけでそこに「幸せ」はないんだよな。
(余談)
あとで調べたら、スルメイカは墨袋が小さくて使い物にならないらしい生き物だということがわかった。
スルメイカの墨袋は細長い銀色をしているらしい。なんなんだ。