蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

私の中に息づく物語

ンビニのハムサンドイッチを食べるたびに、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で太った女の子が博士の地下室で作ってくれた完璧なサンドイッチのことを思い出す。

その完璧なサンドイッチに比べたら、コンビニのハムサンドは何点くらいなのだろう。

少なくともカラシは効いてるけど。などと考える。

考える、というか、一瞬心がそのように動くのだ。食べる前に「いただきます」を言うみたいに自然な所作のひとつとして。

 

物語の描写は日常生活に紐づいている。だから、日常生活も物語に紐づいている。

すべてがすべてではないけれど、日常の光景の中にいつか読んだ物語の描写を想起させるものがあって、ふと通りかかったときにあのページの描写と空気感が蘇るのだ。

村上春樹で言えば他にはキュウリを丸ごと食べているときには『ノルウェイの森』で主人公が病室でキュウリに海苔を巻いて醤油をつけてぼりぼり食べていたシーンを思い出す。もっとも、キュウリを丸ごと食べる機会はそうそうないけど。

 

昭和っぽい花柄のホーロー鍋を見ると吉本ばななの『キッチン』を思い出す。

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『キッチン』に出てくる台所は、アイランドキッチンやシステムキッチンといった角ばったピカピカの代物ではなく、ごちゃついていて壁にはシミがあって調味料がそこかしこに散らばっているのに全体として一体感を持ち、温かい料理が出てくる実家のキッチンだ。散らかって汚いように見えるけど、物を大切に使っていて道具はぴかぴかで長持ちしている、そんなキッチンだ。

で、そういう類の昭和っぽいキッチンには99%花柄のホーロー鍋がいる。

なぜいるのかはわからないが、文部省の統計(『台所用品白書』2013)にも昭和っぽい台所には花柄のホーロー鍋がある。そうであってほしい。などと書いてあったり書いてなかったりする。

『キッチン』のキッチンにもおそらく花柄のホーロー鍋はあるはずだ。

これは描写でもなんでもなく私の勘でそう思っているだけで実際には書かれていないのだが、そう思い込んでいるので、花柄のホーロー鍋を見ると『キッチン』を思い出すのだった。

 

他にもたくさんある。

生の牛乳を飲めばカフカ『変身』でグレゴール・ザムザが虫に変身したのち好物だった牛乳を口が受け付けなくなったことを思い出す。

かまぼこが食卓に並ぶと『吾輩は猫である』で水島寒月君がかまぼこを食べて前歯が欠けたことを思い出すので慎重に食べるようにしている。

蕎麦を前にすれば迷亭が せいろを山葵につけて豪快に啜るシーンが手繰り寄せられる。

 

こうして書いてみると食べ物ばっかりだ。

案外食べ物というのは作者の思想が強く反映されるもので、印象深いのかもしれない。

そんなことないかもしれない。

あるかもしれない。