残業して帰宅する道はいつもより広く感じて、夜は密度は濃く、街灯は特別な輝きを放っていた。
私は素晴らしい働きをして、すべての業務を先輩と後輩に引き継いだ。これで安心して、ようやく夏休みに入れる。
すっきりすべてを終わらせられたので、ほんとうに気持ちがいい。
休み中に仕事を思い出して「そういえば……」とずっと気がかりになることもなく、心から休みを満喫できるわけだ。
正月休みだったか、GWだったか、仕事でひとつやり残したことを休み中に思い出してずっと心がざわざわしていたので、その反省もあって今回は完璧な業務終了を目指した。このことからもわかるように、私は休むために働いている本末転倒な状況に陥っている。おかしな話だ。
「休むために働いている」
こんなことをしているのは人間だけだ。
猫たちが気ままに暮らしているファンタジー世界を描いた ますむら ひろしの『アタゴオル玉手箱』という漫画でこんなシーンがある。
野良猫たちがマグロに食らいつく中、教養のある高尚な猫が涎を垂らしながら「はしたない」と言って自分も食らいつきたいのを我慢するのだ。
(我慢……)(我慢だ)と自分を言い聞かす高尚な猫。
彼に対して野良猫が批判的に言う。
「我慢なんてのは、人間がするもんだぜ」
それは人間という愚かな生き物のする最も愚かな行為だと言わんばかりに。
高尚な猫は堰が切れたように我を失ってマグロに食らいつくのだった。
私は人間だから我慢をしなきゃいけない場面が多いし、我慢して働かなきゃいけない。休むために働くという意味のわからないこと多分死ぬまでずっと繰り返す。
ふとあの野良猫の言葉を思い出して、自嘲気味に笑う。
このようにマンガやアニメ作品で人間を嘲(あざけ)るキャラクターが好きだ。
そういったキャラクターがあまりいないのはユーモラスに描くのが難しいからだろう。
先ほども挙げた『アタゴオル玉手箱』は人間、とくに頭の凝り固まった人間や資本主義的で目的と手段をはき違えたような人間に対して批判的な作品だ。つきつめると作者の思想になっていくのだが、猫たちが肉球をぷにぷにしながら、時には涎を飛ばしながら批判するので可愛く読める。猫の次元に落とし込んでいる。
最近では『チェンソーマン』のパワーちゃんが好きだ。
パワーちゃんは「血の魔人」で極度の人間差別主義者、虚言癖であり、まともに話を聞いてはいけない仲間だ。主人公を一度殺そうとしたし、実際に車で轢いたこともある。
「嘘は人間のする最も愚かな行為のひとつじゃ」と言ったり「人間を苦しめるために消費税を100%にする」と宣言したり、人間に対して辛辣である。そこをコミカルに、可愛く演出できるのが作者の腕だろう。パワーちゃんはキャラクター造形のジャンルを一つ作り出していると思う。
もともとこういったキャラクターたちは、ともすればラスボスになりかねない。
だってラスボスは人間が嫌いだから。
『めだかボックス』という漫画の球磨川禊(くまがわ みそぎ)も「エリート殺し」を推進する ある種の人間嫌いで、実際に章のラスボスだった(こう書くとポル・ポトみたいだな)。
人間が嫌い、という負の側面をどう敵対側に回さずにおけるか、その試行錯誤の結果作り出されたキャラクターに魅力を感じているのかもしれない。