蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

豆を数える/夢の整理

事で管理ミスがあってまずいことになっている。

どれくらいまずいかというと、4コマ漫画で例えたら3コマ目の「転」が欠落していきなりオチが現れ物事の論理を破綻させるような、そのくらいのまずさだ。

解決がどれほど困難かというと、ゴミまみれの部屋に散らばった赤と黄色の豆合計2600個をそれぞれ拾い分け、豆に書いてある番号ごとに並べかえてどの番号が揃わないか一粒ずつ確認するくらい困難だ。

私は誠意を持って仕事をしているつもりだし、作業確認も怠らなかったはずだが、それでも数字上、そして物理的に豆の数が合わずにいくらかのズレが発生しており、物事の順序は破綻して、過去がどこかで改竄された形跡だけを残してオチがめちゃくちゃになっている。

このような場合どうすればいいかというと、頑張るしかない。

部屋中に散らばった無残な豆を本の隙間まで落ちていないか確認し(大辞林に挟まれて薄く伸ばされてる可能性もある)、部屋を片付け、1コマ目と2コマ目に隠されたメッセージを読み解く。地道で救いようのない作業がはじまる。

もともとの管理体制に穴があった。徹底した管理ではなかった。それは否めない。

私の責任でもある。心臓が良くない動きをして血流を止めたり出しすぎたりしている。体温が上がったり下がったりする。

なんとかしなければならない。

 

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現実に厄介なことがあると嫌な夢を見る。

夢はその日起こった出来事の記憶を整理しているらしいので、現実が厄介であるほど解決に向けて脳が眠らずに働いてくれているのだ。

あちらこちらに積み重ねてあったブロックを種類ごとに分けて積み上げ、綺麗に整列させていく。夢の整理はそんな雰囲気がある。

嫌な夢にうなされて最悪の気分で起きると、しかし、どこか頭の中がスッキリしていて、朝日を浴びれば嫌なこともなんとかなるんじゃないかと思えてくる。

頭の中が整然として見通しが良くなっている。

嫌な夢を見た気怠さは変わらないが、ほんの少し前向きな気持ちになれている。

 

でも、嫌な夢は見たくもないし、現実の問題もなにひとつ解決はしていない。

楽しかった日の夜に楽しい夢は見ないのに、現実に問題があると嫌な夢をきっちり見るんだから夢の整理はどういう働きをしているのか、実に厄介な仕組みである。

「楽」に浸り続けるよりも、現実を直視して問題を解決するよう、自然本能でそうなっているのかもしれない。

なぜなら眠りとは、明日の自分のためにするものだから。