蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ユニクロのフリースだったなにか

お題「お気に入りの部屋着」

 

ニクロのフリースがないと冬を越えられない。

逆に、ユニクロのフリースさえあれば冬なんてどうにだってなる。

ユニクロのフリースにはそう言わしめる実力と貫禄がある。実力とは私が実際に着用して実感しているその温かさのことであり、貫禄とは私が酷使したためにいまや死んだ動物の毛皮、もしくはさざれ石にむした苔の如く老廃物的な趣を呈してしまったその見た目に因する。

使いすぎてボロボロなのだ。

「それを着ているあなたを見ると、寒々しくなって、惨めな気持ちになる」と彼女に言われる。

「僕はとても暖かいよ」

「暖かいのはあなただけ。できればわたしの前でそれを着ないでくれる?」

ユニクロのフリースは通常の衣服のモコモコさに対して150%の起毛を誇り、さすがに首都ホテルのスイートルームの絨毯の毛の長さには劣るものの(小市民の皆さんにはあまりピンとこない喩えで申し訳ない(陳謝))、陳列されている新品に手を重ねるとまるで優しい獣の腹を撫でたような感触で、起毛の王、と呼んで差し支えない部屋着である。

これを着れば良いことしかないだろうな、という予感めいたものを惹起させる。

「あたしを羽織れば良いことしかないの」という自信の声が起毛から聞こえる。

去年の秋に買って以来、たまに洗うのを除けば部屋着としてほとんど常に着用し、容赦のない真冬には着用したまま毛布にくるまって眠る夜も多く、その実力に全幅の信頼を寄せていた。

だが、酷使しすぎたのだろうか(酷使しすぎたのだろう)、かなりボロボロになってしまった。

起毛は──あの優しい獣の腹毛のようだった柔らかいモコモコは、いまや潰れて「起毛」というか「キモ」な見た目になり、とくによく寝ているからか背中側が酷い有様で、彼女に言わせれば「野良犬」または「ずっと洗われてない可哀相な犬」のようだという。どちらにせよ犬なのだ。

袖のあたりもやばくて、ここはもう生物的な面影はなく、単に雑巾、と化している。

小学校の教室の後ろにかかってた、牛乳を拭いて放置したままカピカピに乾いた雑巾。アレになっている。

 

私は着る側なのでその凄惨たる有様を見ることはあまりないのだが、彼女がたまに着ているのを見るとたしかに酷い。その色味(緑がかったブラウン)も相まって、公園で集めた落ち葉や苔を集めて固めたもののように見える。土くれ、である。彼女は身体が小さいので、男物のフリースを着てもそもそ動いていると土くれの質感相まって、なにかそういう、小さいゴーレムに見える。

洗濯するごとに生地は劣化し、摩耗し、威厳を損なっていく。

だが、こんな見た目になってしまっても暖かさにかけては劣ることないのだから驚きだ。

今年の冬も私を包み、春まで連れて行ってくれそうだ。と言ったら、

「まだ着るつもりなの?!新しいの買ってよ!」

とゴーレムに糾弾された。