調べ物をしたり、ふと思い立って検索エンジンにキーワードを入れて検索結果をスクロールしていると、必ずと言っていいほど誰かのブログが目に入る。
世の中のありとあらゆるものは、ほとんど誰かのブログで語られている。
名前が付けられている万象の一切は誰かによって既に語りつくされていると言っても過言ではないだろう。あなたの部屋のシーリングライトや、ペットボトルのキャップや、靴下のほつれに至るまで、どこかの誰かが遠い昔かつい昨日かあるいは明日の朝にでも、ブログで骨抜きになるほど語っている。
そういう世界なのだ。
専門的なブログから、アフィリエイト広告を稼ぐためにしっちゃかめっちゃかなテーマで書かれているブログ、それから私のようにしみったれた個人的な生活の記録をつづったものまで、ブログのテーマはさまざまだ。そういった「さまざま」を目撃すると当然ながらも再認識するように、世の中には私の想像以上にバラエティ豊かに人々が暮らしていると実感できる。
人によって物の見方は異なっていて、その見方の背景には生まれ育ちの環境や経験や思い出が含まれている。同じ景色を見ていても、私が見ている光景とあなたが見ている光景はどこか違う。
偶然出会ったブログに入ってみる。
突然「先日はありがとうございました」から始まっていたりして、もう面白い。私は初めて訪れたブログなので文脈をまったく理解できない。
ブログはもちろん世界に向けて発信される文章なのだが書いてる当人としては普段読んでくれている方やフォロワーに向けて書いているつもりなので、インターネットという公共のインフラであってもブログという「囲い」を設けることで個人的な雰囲気が漂う。
個人的な日常や小さな幸せや悩みや家族との思い出やなにかの感想が、その囲いの人々に向けられて書かれているという雰囲気でもって存在しており、偶然の出会いによって読んでいる私は望遠鏡で他人の家庭のリビングを覗いているような気分になってくる。
他人のリビングを盗み見たくなったら、窃視罪を犯す前に全然知らん人のブログを読んでみるといいだろう。
あとブログの面白さだと、「○○美術館で開催されていた△△展へ行きましたが……」などと書いてあってもよく見ると2014年の情報だったりするからすごい。
パソコン関係のトラブル対応について調べていて有用な実行プロセスの体験情報を見つけて読んでいたら、ここ数日の対応について書いてあるように見せかけて2002年のブログだったことがある。
さも昨日のことのように書いてあるが、書いた時はその展覧会やトラブルが昨日だったとしても読んでいる今の私からしたらその「昨日」は数年前の昔なのだ。
書いているときは近い過去をほとんど現在の時間軸で書いているし、文体やテンションからも「現在」の雰囲気を感じ取れるのだが、実際には「現在」の鮮度を残したまま時計の針が進んでいるので、結果として「現在」の擬態をしたまぎれもない「過去」になっている。
「現在」の気持ちで「過去」を読めるのは案外貴重だ。
本は出版された段階で「過去」が前提にあるが、ブログやSNSは現在性に重心があるのでそうはいかない。「現在」の性格を持ったままに「過去」になっている。
改札ですれ違うだけのまったくの他人の生活がひょんなことから覗けたり、「現在」の顔をして「過去」に入り込めたり、ブログってちょっと臭うくらいロマンチックなもんだ。ちがう世界のリビングの団欒を覗ける高精度の望遠鏡でもあり、気持ちごと連れ出すタイムマシーンでもあるのだから。
私のこのブログは突然訪れた人からしたらどう読めるのだろう。
ふと読んでみたときの感触を思い出して、きっと困惑するだろうけどちょっとでも面白がってくれたらいいな、と思う。